東京大空襲で犠牲になった方々の御霊の供養体験

今日(2025年12月16日)はですね、この要唱寺で午後2時から回向供養の会があったんです。 そして今回は特に東京大空襲で殺害された方々の霊をお招きして、そして供養することにいたしました。

そうしますとですね。 次々にその亡くなられた、殺害された霊がやってくるんですよ。 最初、苦しさのあまりうめき声を上げて「ギャー」と叫んでいるのです。かと思うとものすごい怒りのまなざし。 それはもちろん、ひどい銃撃を受け、あるいは火災によって焼かれて川に落ち延びて、それで助かるかと思いきや、そこをまた銃撃されて…。 銃撃されなくても川に落ちて死んでいくんですね。 この苦しさと言ったらない。 無念さ、 恨み、憎しみ、そういった思いがいっぱいなんですよね。 皆さん一生懸命お題目を唱えていますので、その功徳が少しずつ届いていくんですね。すると御霊たちは、 ほんのわずかな団子みたいな、そんな感じで魂の食べ物をいただけました。 しかし、それだけでは到底 満足・納得できるものじゃないんですね。 先ほど申しましたように平和な時代に生きる私たちには、想像もできないくらいな苦しみなのです。 逃げ惑い、川に飛び込み、落ちたところをまた銃撃されて殺されていくという。 この苦しみと恐怖は、通常では到底考えられないものです。 そこに対する恨み、憎しみ、そして怒り。 もう 80年も経っているわけですけれども、まだ浮かばれていない癒やされていない霊がたくさんあるんです。 そのもちろん銃撃されたことへの恨み怒りはあるんですけど、忘れ去られたことへの恨み怒りもあるんですね。 それも重なって到底静まるものではない。 その苦しみ、 憎しみ、怒りというものを必死になって訴えてくるんですよ。 ですからこちらも一生懸命、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経とお唱えするんです。 皆さんがお唱えしてくれたんですね。 そうしてしばらく経ってその怒り、恨みの思い、あるいはうめき声が収まっていくんですね。 静まっていくんです。 でも静まって、それで終わりかというと、そんなことはないわけですね。 まあ、仮に静まったとしても変わることなく、むしろ今まで以上に唱えてゆくんですね。 そうすると、やがてさらに変化が出てくる。 まずご本尊が見えてきたんです。そして「ああ、あそこへ行けばいいのかな」って、何か希望のようなものが感じられるんですね。 そして少しずつその世界に、いわば霊界にですね、進んでいくようになるんです。 そして霊界に入りきれた瞬間に先ほどまでのあの苦しみが嘘のように治まり楽になっていくんですね。 やがてそうしてどうなっていったかというと、やがてその御霊からは、楽しそうな歌が出てきました。 そうしてまたこの世界に戻ってきて 一生懸命、一心不乱に唱えてくださった方々に向かって合掌礼拝してるんですよ。「 ありがとうございます」と…。

こうして今日の供養会が終わっていくんですけど、もちろん、おいでになった方それぞれのお家のご先祖様がいらっしゃいますね。 そちらへの供養として始まったものなんですが、今日の場合は、特に東京大空襲で殺害された方々の霊ということも祈っていただいたわけなんです。 これは、たいへん大事なんですね。
私にそんなことできるかしらって思う方があるかもしれませんが、これはですね、皆さんの個人的な力、あるいは念力なんてもんじゃないんです。 この宇宙の壮大な無限の慈愛の法、それを南無妙法蓮華経と言うのです。それを信じ唱えるのです。自分の個人的なレベルの力じゃない、その宇宙的な法の力、あるいはブッダの力によって無限の慈悲慈愛によってそれが発動されて届いていって、じわじわじわじわとですね。 苦しみから抜け出し静まり、やがて楽しさが感じられるぐらいまで変わっていったんです。 これが今日の回向供養会で起こったことです。

そして、このことがこのように変化していくプロセスをちゃんと目の当たりに体験的に教えてくれるのが、この南無妙法蓮華経というものなんですね。

ご清聴いただきましてありがとうございました。 合掌