人間にとって死の問題は、死それ自体ではなく「死の恐れ」という感情の問題である。
他国より来世を信じない日本人 「死への不安」も強い傾向と帯津医師が解説https://dot.asahi.com/wa/2021011500040.html?fbclid=IwAR0lKh3t5GKZsIVKecN91jOf4EtX-GABR83ilx4O6vVGzOXuXVp9jGyeGN0
帯津先生とは、医師らの研究会や科学者の集まりなどで何度かお会いしたことが、あります。私が発表した唱題プラクティスもご覧いただきました。先生の病院が、私の処からさほど遠くないのでいつか機会があったら病院の見学もさせていただきたいと思っています。先生が、ある処で「最高の癒しの場は、仏の浄土であろう」とおっしゃっておられましたが、わたしも体験的にその通りだと思います。肉体の病、心の病、魂の病を同時に癒してくれます。特に魂―心の深いレベルの癒しは、すべての根っことして大切。
かつて国際生命情報科学会の合宿の際に京都大学こころの未来研究センター カール・ベッカー教授の講演を拝聴させていただきました。その際先生は、以下のような要旨でお話しされ、特に日本の四十九日の法要の大切さについて力説されていたと記憶しています。
「目で見える物しか存在しないとか、死んだら人間は完全に消えてしまうとか、神も仏も霊魂も無い、というような物の見方は、世界のあらゆる時代や文明を遡って探してみても皆無に等しい」⇒現代の日本くらいなものだ、ということです。ありますよ。日本だって神仏や霊を信じるということ。でも総じて希薄だと思います。
日本の四十九日の一週間ごとの法要は、素晴らしいグリーフケアのシステムなのに何故日本人は、そうした自国の文化をもっと大切にしないのだろう、というようなことをおっしゃっていました。
そこに参加していた日本人の多くが、先生のそのお話しを聞いて皆驚いた様子(はじめて聞いたΣ(・□・;))だったのが印象的でした。現代の日本の状態を象徴しています。
ほんとうに法要は大切です。
死者と遺された方々の魂や心を深く(別離の悲しみやカルマに至るまで)癒すために・・・。ほんらい僧侶の読経は、仏陀の覚りの言葉のたましいを体現することにより、大いなる癒しの場をつくりだしていたのです。
という私もかつて神仏まして霊の存在など全くと言って良いほど信じていませんでした。信じる、というより体験的に知るようになったのは、仏教の修行に入ってからです。そのことについては、またいつかお話しできたらと思います。