祈り

日蓮聖人の「祈祷抄」という書に

『法華経の行者の祈りの叶わぬことは、あるべからず』

という言葉を発見した時、震えるほど感動した。と、同時に何と厳しい言葉かと身の引き締まる思いがした。単純に「祈りは、絶対に叶うぞ」と言っているのではない。「法華経行者」という前提があるのである。この言葉が、身を引き締まらせる要因である。

だから、先ず祈る自分が、法華経に照らし合わせて正しいか? 祈る内容に正当性があるか?

つまり自分本位の欲望を満たす祈りなどは、不可であることは言うまでもない。加えて祈る心が純粋に妙法蓮華経と一になっていなければならない。邪心をさしはさんではならないのだ。

そのうえで『絶対信かつ命懸けの祈り』でなければならない。そうした先に自我意識ではなく、妙法蓮華經=永遠の仏陀の慈悲が発揮されるものである。そもそも法華経の行者の祈りとは、自家発電的祈りではないのである。そのことも問う必要がある。真にそこに住して行っているか?

そして、祈った結果を検証して、自らの修行にフィードバックし、向上をはからねばならない。

結果が出たからと言って傲慢になったりしてはいけない。自分の力で成したのではない。有難くも妙法の力によるのである。