令和5年 寒中修行 第二段

寒中修行も第二週目を迎えた。二十人くらいの人たちが、参加しています。第一週のはじめには、かなり重いものを感じ、さまざまなカルマ、執着、煩悩を打ち破る必要があったと思います。もちろん、打ち破ると言っても頭脳の力ではなく妙法の力と私どもひとりひとりのによる。第一週の精進の成果によるものか、第二週になると上記のような障礙は、だいぶ少なくなり、生まれてより以来様々な経験や学習によって形成された、カルマを含んだ『自己牢獄(様々な生きづらさのもと)』が破れ、本来の己の自在な心が現れ出つつあります。これからが、楽しみです。

☆当寺院の唱題プラクティスとは?  この動画をご覧の皆様の中には、私の唱題に対して驚きと不審の思いを抱く方もあることでしょう。儀式の中の一定のリズムと音程で唱えられる一般的な唱題とは、大いに異なる様相を呈していると感じることでしょう。「合掌が基本ではないのか、合掌を崩していいのか?大法さんは、踊っているのか? 歌っているのか?またある方は、頭がおかしくなっているのではないか?」と思うかも知れません。ええ、私も合掌で一文字一文字踏みしめるように音吐朗々と唱えることは、基本だと思っています。むしろわたしは、合掌を「仏陀と我々衆生が出会う、統一された重要な姿形」としてとても重視しているのです。  そこでこの唱題について少し解説させていただきます。もちろん合掌は基本中の基本ですが、唱題の真髄は成仏であり、そのことが顕現された時には、そこに止まるものではないのです。妙法蓮華経の中の「現一切色身三昧」とは如何なる状態でしょうか? それは、法華三昧の異名(別名)、或いは「一念三千の体現」とも言われています。御題目と言う仏の種が、育ち開花した一つの姿(状態)なのです。  本寺院の唱題は、わたくし大法が、御題目の修行僧として精神科医(意識科学の専門家)として、清明な意識のもと徹底した唱題修行によって得られた法華三昧によります。換言すると、それは一念三千という永遠の仏陀の究極の悟りの世界の体験です。それは、心のみの体験ではなく一念三千の世界が壮大な音声の変化と身体の動きとして表出されるのです。しかも個人的体験に止まらず、化他としての唱題として現われるのです。すべて妙法の力であって、個人的な霊感や霊媒の世界では、ありません。

※ただし、法華三昧・現一切色身三昧は、すべての人が実践しなければならないものではありません。合掌が基本であり、御本尊の御題目と一如と成ることを目指し、唱えることで良いのです。