日蓮大聖人からのメッセージ

2025年12月10日朝 5時 50分。唱題をしておりますと、目の前に宝塔が現れまして私はドンドンドンドンと昇っていきました。宇宙の果てまで、虚空の本当の真髄のようなところに行きますと、大きな真実の光がありました。そこで私は真実の光の中へ入るようなその側まで行って唱えておりました。仏陀も唱えておられました。
しばしすると、「日蓮である」という言葉が聞こえてきました。お話を始めようとなさったのです。その気配を察知した私は慌ててメモを取りました。
今こそ、魂の真の覚醒が必要である。我が弟子たちよ、真に目覚めよ。俗的栄誉への執着から離れなければならない。僧侶は、己の欲望に負けてはいけない。民を法の道へ導くのである。今の世の中を変革するためには、人間一人ひとりの魂を本来の姿へ変えなければならない。それができるのは、唯一僧侶である。我の教えである。我は言う。まず、僧侶は僧侶であれ。僧侶本来の姿に戻らなければならない。民衆を闘争へ駆り立たせてはいけない。心の安堵へ導かねばならない。上辺だけの唱えや、慣習の唱題を行っていてはいけない。仏陀と魂が通じる(深いレベルで通じる)唱題をせよ。
仏陀と通じれば、僧侶は今の姿ではなくなる(※1)。まず僧侶は、僧侶であること。我が真に目指したことは、魂の目覚めである。日蓮は決して政権と戦ったのではない。時の政権の間違いを正したのである。民衆のあり方を正したのである。人間本来の魂のあり方を顕したのである。法華経を真に学べばそれが分かる。我は、常に虚空から今の状況を捉えている。今はまさに末法である。末法こそ、民衆の魂が覚醒すべき時である。
まず僧侶が、魂の妙法(※ 2)を唱えよ。僧侶自ら意識改革をして民衆を導かねばならない。
※1  唱題や行事を慣習的に施行するだけの僧侶から真に民衆を目覚めさせる僧侶となる、ということ。
※ 2  ここに言う「魂の妙法」とは、心の表面的な唱題ではなく、魂からの唱え、のことを言う。換言すれば、久遠の仏陀、日蓮大聖人の御たましいとひとつの妙法を唱える、ということです。われらが我(が)を超越して久遠の仏陀と通じた時には、むしろ久遠の仏陀(妙法それ自体)が、わが身心を通して唱えてくださることを体験するのです。涌きいずる御題目のことです。
合掌  受信者  妙陽 / 編集  僧 大法