小島 弘之 身延山信行道場成満

唱題プラクティス 5月26日
「此の経(法華経)は、内典(ないでん=仏教経典)の孝経なり」
弟子の小島 弘之は、今年の春の身延山信行道場に入場し、5月19日に終了し、正式に日蓮宗僧侶と認証された。
彼にとって帰宅後の最初のZoom唱題であった。唱題中、彼と私とは、共にひとつの妙法の世界に入った。
そこで図らずも彼が、信行道場中に亡くなった義理の母の魂の供養となったのである。そのたましいは、私の身体を借りて現れた。私は霊媒ではない。南無妙法蓮華経という一念三千の法界に鏡のように映し出されるのである。最初彼女は、蕾を抱いていたが、小島弘之が唱える南無妙法蓮華経の功徳を受けて蓮の華が咲いたのである。蓮華とは、成仏を象徴する。そして亡き彼女は、小島に「有難う」と言おうとしている様子が見て取れた。
実は、此処に至るまでには、いくつかの不思議があった。
彼が、信行道場で修行に励む最中、もちろん彼は義母の母の死を知り得ないのである。しかし、ある日、道場生全員で行脚をしながら松樹庵(日蓮聖人が、現在の奥の院に登る途中で休憩された場所に建てられた)を目指す途中で何故か自然と涙が溢れて止まらなくなった、というのだ。従来なら身延山奥の院思親閣(日蓮聖人が登られ、そこから東方安房の国の方を見ながら亡き父母の菩提を祈った場所に建てられた)に参拝して親孝行に勤しんだ日蓮聖人に思いを致し、その精神を胸に深く刻む、というのが趣旨だと思うが、今年はコロナ感染拡大の影響から行動範囲が制限され、手前の松寿庵に詣でることとなった。
その途中で彼に上述のような不思議な現象が起こり、本人も不思議に思っていた。その時、訓育主任に提出した日誌につぎのような彼の文章が残っている。
「お題目を唱えながら行脚しておりますと、なぜかしばらく自然と涙が流れてきて止まりませんでした。私自身の感情に起伏は全くありません。不思議でした。何となく、どなたかの御魂が喜んでいらっしゃる涙であるような気がしました。改めて身延が聖なるお山であることを実感しました。」
そして5月19日に修了式を終えて迎えに来ていた奥さんの口から出た言葉で彼は、あの涙を義母の喜びの涙だったと理解したという。
千葉東金にある病院に入院していた奥さんの母が、ちょう彼が松寿庵に向けて行脚していた時に亡くなっていたのである。
思親閣は、日蓮聖人が身延より東方の千葉の亡きご両親のために祈った場所に建てられた寺院なのです。今回は、その代わりの寺院だったのですが、意味合いとしては同じです。つまり親思いの厚い日蓮聖人を深く思い出し心に刻む、という修行。
これをただの偶然だよ、と取る方もあると思う。しかし、わたしたちは、日蓮聖人の弟子たらんとする一僧に与えられることになった妙法の修行があったと見るのである。そしてその奥深い不思議さに胸を打たれたのである。
さらにこの日に限って私にも不思議があった。此のZoomに参加される方々の中には、悩みを抱える方が少なくなく、日蓮聖人が書かれた、祈りの心を高める趣旨の文章を選ぶことが多かった。しかし、教本をパッと開いて目に入ったのは、死後の安心を説いた波木井殿書の一節だった。そこで違う御文章を選ぼうとしたら次に開かれたのは、亡き父母のための孝行を説く開目抄の一節であった。いずれも死後の世界に関することなので、もう一度選び直そうと思ったが、いえ、このまま開目抄にしようと思い直して読んだのである。
「今法華経の時、悲母の成仏も現れ・・・・此の経は、内典の孝経なり云々」
そして続いて唱題を行った。そして、そこに起こったのが、彼の縁者の亡き霊の供養だった。
すべて終わって唱題の内容を検討するうちにわれわれは、シンクロニシティの数々に深く胸を打たれたのである。
私たちの計らいを超えた妙法の世界のひとつの体験に・・・・。
最後に彼の今回の唱題に関する感想
「本日の唱題で、義母に孝行ができましたことを実感させていただきました。」