誰も避けられない問題でありながら、常に回避したいこの事に向き合うことほど私たちに大いなるものをもたらすものはない。なぜなら人が死を受容し得た時には、その先に、死の恐怖から解放された明朗な人生が開かれるからである。
死すべき命と感ずる(観ずる)からこそ、真に生きられる、のです。
終末期医療の先駆者であり世界的な精神科医として知られるエリザベス・キュブラー・ロス博士は、「がん」などで死の宣告を受けた数多くの患者の終末を診療・研究することにより、多くの人々が、5つの心理的な過程(局面・段階)を経て最終的に「死を受容」してゆくことを突き止めた。
一般には、「死の受容」というと欲望や楽しみを捨て去った消極的人生の状態をイメージしてしまうのではないかと思う。
しかし、
キュブラ―・ロスは、晩年の書『ライフ・レッスン』の中でこう述べている。
「死の床にある人たちが教えてくれた意外なレッスンのひとつは、いのちにかかわるような病気の宣告を受けた時に人生がおわるのではなく、そのときに人生がほんとうにはじまるのだということだった。死の宣告をうけたときに真の人生がはじまるのは、死をリアリティとして認めたとき、同時に生のリアリティをみとめざるを得なくなるからだ」
また「死ぬ瞬間」に於いて
「死の受容の先に起こるであろう卓越したヴィジョン」を述べている。
「だれもがこの問題を避けたいと思っている。しかしいずれは直面しなければならないのだ。すべての人が、いずれは自分も死ぬのだということをじっくり考えるようになれば、様々な面で変化が起こるはずだ。なかでも一番大切なのは患者、家族、ひいては国民の幸福である。
もし医学生に、科学技術の重要性だけでなく、人間どうしの関係、総合的患者ケアの技術と知識を教えることができれば、真の進歩が得られるだろう。科学技術が誤用されて破壊的なものが増える傾向に歯止めをかけ、人間性よりも延命に重点が置かれているのを阻止し、科学技術の進歩に合わせて個人どうしの触れ合いの時間が減るのを食い止め、反対にそういう時間をもっと増やせば、そのとき、私たちの社会は本当の意味で偉大な社会といえるようになるだろう。
そしてついには、平和を―それも個人の心の平和だけでなく国どうしの平和をも―達成することができるかもしれない。死という現実と向かい合い、それを受容することによって」
無論、無理やり受容できる訳ではない。受容に至るプロセスがある(大事である)。時といものもある。
実は、以上のプロセスを死に直面してからではなく、健康な時から踏むことにより、根源的な苦悩から解放された明朗な人生を実現していたのが、当時(二千五百年前)の仏陀の弟子・信者たちである。この科学文明の時代でも色褪せない、否、今こそ輝くべき叡智である。