当寺院の供養について

当寺院の供養は、他で通常行われているいわゆる慣例儀式的な供養とは、やや趣を異にします。

<当寺院の『供養のコンセプト』~私が体験した『死後の霊の成仏へのプロセス』~>

医科大学で医学を学んだ私は「死後の霊などない」と考えていました。脳が死滅した後に精神活動が存在するなど考えられなかったのです。

私は、僧侶になってもしばらくは、以下のように思っていました。

そもそも ”霊は、あるのか?”

“無いとすれば、なぜ葬儀や法事をするのか? 無いのなら法事をする必要は、ないのではないか”

“あるとすれば、通常行われている法事などでほんとうに『霊』に届くような供養ができているのか? またその場合どのようなプロセスを経て『霊』は、成仏するのか?”

“以上のようなことが、わからないままに法事をすることは、虚しい”

 したがって僧侶になってもしばらくの間私は、法事という行為を拒否していたのです。 自分の心を向上させる修行だけは、納得して行っていました。お寺の僧侶が法事をしない。普通あり得ない話ですが、・・・・・・(笑)。

ところが・・・・修行を重ねた結果、ある時より、

亡き御霊の状態が体現されるようになり、唱題を通して御霊が、清らかでとらわれのない意識へと変化し、成仏を象徴する蓮華台に乗り浄土へとお導きすることが出来るようになりました。さらに参加された皆様方の祈りが、亡き方にどのように届いているかもわかるようになったのです。単にお坊さんに頼むのではないのですね。自分たちも深く関わっていることを実感する喜びがある。

ただし、それは私の個人的な念力や霊感(霊媒)などによるのではありません。仏法(ぶつぽう)が持っている大いなる力によるのです。 そのことを通して、亡き方のみならず、祈る人も共に癒され、深い気づきと安らぎを得ることが出来る。それが、私そして当寺院が目指し行う供養です。

<参考> 令和五年八月十六日 盂蘭盆会(うらぼん)供養風景

唱題センター in 無辺行山 要唱寺

*導師 要唱寺住職 蓮華院大法日立 / 役僧 小島 弘之

※これは、いわゆる個人的な霊感や霊能(霊媒)によって行われるものではありません。 大法が、法華三昧を修し、仏法ー妙法蓮華經と一如となることにより、仏法そのものの力によって表わされる微妙で壮大な”たましいの世界”なのです。

☆法話編 ⇒  https://www.youtube.com/watch?v=ikPG5TBv18M