永遠の仏陀からのメッセージ 30

3月23日夕方5時20分、仏陀からの体験的説法
※以下は、単に仏陀の言葉による説法やストーリ一ではなく、唱題修行を通して実際に仏陀に出会い、まるで人生体験のようにリアルに体験された内容を文字として記述したものです。
「王の物語編 26」
冷たい風が、初秋の畑に吹いていた。 天空には常に厚い雲が広がり、日の光を遮え切っていた。 農地一面植えられた芋は地面に倒され、茎と葉がかろうじて枯れないでいた。 どこの都市国家の領地も皆同じ有り様であった。芋の収穫はわずかだった。農民たちはこれから迎える冬をどう生き延びるか、と不安に暮れる日々だった。 冬が訪れた。都市国家にかつて味わったことのない寒波が襲った。 領民たちは、寒さに耐える衣類がなかった。 寒さとの戦いだった。凍死者、餓死者が出た。わずかな食料で生き延びていた。農民たちは、食べることに一日中頭を使った。食べられる草、茎を懸命に探して歩いた。わずかな芋をたくさんの水で煮てすすった。
ある領地の農民の出来事である。 朽ちた家には隙間風が入り、土間では薪を燃やして家族で暖を取っていた。痩せ細った子どもが、「お腹が空いた。芋を食べたい」と泣きじゃくり母に訴えた。 母親は、痩せた細い腕で子供を抱きしめた。 子どもに与える芋もないことに涙を流した。神様に「私の命に代えてでもこの子に食料をお与えください」と祈った。 母親は、自分も子どもも明日はない命だと思った。 子どもにいくら泣きじゃくられても与える食糧はなかった。 母親は、うつろな目で人生を回顧した。 豊作でたくさん食べられた時、猛暑と干ばつに襲われ稲や芋が食べられなかった時、冷夏と長雨で枯れてしまった時、そして戦となった時、そして今は口に入れる物がない、と涙を流した。 朝を迎えた。子どもは冷たくなっていた。 冬の農地に風は、否応なしに吹き荒れた。農地の隅に穴を掘り、子供を荼毘に附した。寒さと飢えで苦しむ家族には、頬を伝わる涙さえも出なかった。 皆、餓死寸前だった。そんな時一人の領民が、痩せ細った馬を引き農民に近づいてきた。訳を聞かれた。事情を話した。領民は「家も食べる物もなく、家の最高の宝である馬を手放しお金と食料に変えます。 それがなくなれば餓死するしかありません」と話した。領民は、子どもを亡くした家族の姿は自分の将来だと思って深く心を痛めた。 どうせ死が近いならこの馬を殺してみんなで分け合って食べよう、と思った。 馬は解體され、皆で余すところなく飛び散った血液までもすすって食べた。 馬を食べた農民は、元気を取り戻した。 農民の一人が、枯れた農地を耕やした。 久しぶりに食べた馬からエネルギーをもらって目は輝いていた。 土の中に小さな芋があるのを見つけた。 懸命に周囲を掘るとさらに出てきた。この知らせを聞いた農民たちも荒れた農地を懸命に掘った。小さな芋が出てきた。 農地の芋は、極寒に耐えられる品種になっていた。 農民は、掘り起こした芋で命をつないだ。 春になり芋を植えた。 芋は、葉を茂らせて農民を喜ばした。 そして収穫期を迎えた。農民たちの顔は、明るかった。芋を引き抜いた。 悲鳴をあげた。 芋は、見事に虫に食い荒らされていた。 まともな芋は半分だった。 怒った農民は、土の中の虫を探し出し、見つけた虫を焼いて皆食べてしまった。
仏陀からです。人間は、生きようとすると逞しい生命力がある。 古代から人間はこのように生き延びた、と言われました。

 

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