ハワイ大学のジョイ教授のお招きにより、講義をさせていた。「内なる平和=Inner Peace」という大タイトル8回シリーズの2コマが、私の担当となった。ちなみに私の前回(第6回)は、オバマ前米国大統領の妹、Maya Soetro -Ng 博士(オバマ平和研究所)であった。このような方と共にレクチャーをさせていただくというのも世界平和の基礎として私たちひとり一人の「内なる平和」の実現が、今日いかに大切かを示唆しているものと思う。
テーマ ”悲嘆(グリーフ)とたましい”
行学融合 スタイルの講義です。観念的な講義にとどまらず実践・実感を重視する。
①ハワイ大学ジョイ教授による私の紹介、②講義、③読経瞑想(自我偈)、④質疑応答
(下のユーチューブからご覧になれます。)
この実現にあたっては、ホノルル妙法寺住職&オペラ歌手の山村 尚正上人ならびに通訳ディーン氏、その他皆様方の多大なご尽力を頂きました。深く御礼申し上げます。 合掌
今回のテーマは「悲嘆=Griefとたましい」(下のパンフには、テーマは、「たましい」になっているが、依頼で変更になったのです)
特にこのコロナパンデミックにおいて、重症化、死亡において他とは異なる悲嘆の背景がある。世界的な問題でもある。かつて潜在意識の領域として扱われた問題でもあり、たぶん未来に影響する。
そんなテーマと講義の依頼が、私のところに来たのも不思議というか、時代の流れなのかも知れない。悲嘆についての悩み相談は、しばしば受けている。
もちろん、ここにおいては、医学という視点だけでなく、心理学、精神医学、特に仏教的視点からお話しさせていただいた。具体的には、知られざる葬儀の意味~故人や家族レベルから社会レベル。
今回原稿をつくるにあたって、改めて深く共感したいくつかの言葉をあげてみたい。
上智大学グリーフ・ケア研究所所長の島薗 進先生
「死別の悲しみは、なくそうとしてもなくならない。ただ悲嘆とともにある私たちの在り方が、変わる(変われる)のである」
精神科医ジグムント・フロイト
悲嘆には、悲嘆の仕事がある。
ナチ強制収容所を経験した精神科医 V.E.フランクル
人生に意味があるかを問うのではなく、人生の方からわたしたちに常に「今この状況の中でいかに生きますか?」と問われている。→はっきり言って、すごい発想の転換 = 生きる基本姿勢として採用させていただいています。苦も楽もすべて人生の課題となっています。
精神科医、終末期医療の先駆者、エリザベス・キュブラ―・ロス
死の宣告を受けた人の死の受容の難しさと受容しえた場合の人生における輝かしい意味。
仏陀
その死の向き合いを若く健康な時に実践することにより、死の恐れから解放された平穏で自在な新たな生を実現した。このことに気づいていただくとグリーフ・ケアは飛躍的に進化・深化する可能性がある、と考えている。
そして、
かつてあった宗教的、社会的支え(人間どうしの支え合い)が衰微して個人レベルで悲嘆に向き合わなければならない現代人の厳しい現状の理解のもとに新たな方法を見出さなければならない時代である。また、それに寄り添い支えるための新たな人やシステムの構築に向かって・・・・それが、つい五十年以上前の葬儀・法要にあったとは、今日どれくらいの人が知るであろうか。グリーフ・ケアは、勿論のこと壮大な感情と行為の浄化と希望を生み出すために構成された仕組みであった。
今後脳の意外な構造と機能を広く理解した上で話し合える状態になりたいものだと思う。これが、わかれば「こころ」という問題、自由意志、トラウマ、カルマのことが、かなり実感され、理解されると思う。そこらあたりからが、スタートなのではないかな、この時代は、・・・宗教ではなく、人生の実践の道~心の科学とその実践。