2025年4月19日夕方5時。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 5
男は、仕事に対して研究熱心だった。先輩の農地へ行き、わからないことを教えてもらいメモをし、家に帰り本で調べた。今までにない農法をする楽しさで充実していた。初めて作った野菜は虫食いだらけだった。市場に出せる状態ではなかったが、どんな困難にも乗り越える気迫でくじけなかった。当面の生活費は退職金と貯蓄があったので、心配はしていなかった。
何より嬉しいのは、田舎なので都会より余計な出費がなかったことだった。
有機農法をはじめて一年経った。自分のところで食べる有機米作りに挑戦をした。難しいことに挑戦するのが、楽しかった。今までのサラリーマン生活時代とは打って変わり、日焼けしたくましい男になっていた。子どもたちは、かつて学校から注意を受けたのが嘘のように地元の子どもたちと仲良く遊び、勉強し、親に負けずに日焼けし、たくましくなっていた。前よりも母親のことを言わなくなっていた。
そんな時、元妻の弟から電話がかかってきた。「姉さんが重体なので、子どもを合わせてやってほしい」とのことだった。男は子どもたちを連れて地方都市へ行き、妻の入院している病院へ駆けつけた。病院で付き添う弟が言うには、「癌にかかっていたが、子どもたちには隠していた」と言った。子どもたちは一ヶ月に1回の電話をしていたが、格別何も言わなかったし、子どもたちも田舎暮らしに慣れて、前のように母親のことを言わなくなり、母親と会っていなかった。弟は持って1週間と言った。
女は子供たちを見ると、苦しそうな顔をして子どもの手を握り、涙をこぼした。男には小さな声で、弱々しく「ありがとう」と言った。わずかな面会時間ではあったが、子どもたちを連れて田舎へ帰った。
1週間経ち、女の弟より女が亡くなったとの連絡があり、男と子どもたちは女の葬儀に出席するために地方都市の斎場へ向かった。葬儀が終わった。女の弟は、子どもたちに母親からの形見として、子どもたちが小さい時に着ていた服と母親の写真を渡した。
弟は控えめに「姉は本当は離婚したくなかった。慣れない田舎と姑が嫌だったのだそうだ」と伝えた。男はてっきり愛想を尽かして去っていったと思っていたので、弟の言葉が胸に刺さった。葬儀が終わり、子どもたちを連れて田舎へ帰った。
母親に一通り説明した。母親には、「女は本当は別れたくなかった。慣れない田舎と人間関係が合わず辛かったんだと…」と言って遠回しに母親を非難した。元妻が亡くなり、畑仕事が復活し、毎日農作業に精を出していた。
葬儀から六ヶ月が経った。元いた地方都市の会社の同僚が、男に会いに来た。久しぶりの再会を喜び話し合っていると、同僚はある話を切り出した。「会社に離婚歴のある、お前より一つ年上の女社員がいて、以前からお前に好意を持っていたのだそうだ。けれどお前は結婚しているし、好いていると誰にも言えずにいた。元妻の方が亡くなったと聞いて、交際したいので伝えてほしい」と頼まれた、と言った。かつての同僚は、「休日がてら男の暮らす田舎ののどかな景色を楽しみたくて、日帰り旅行のつもりで遊びに来た」と言った。男は急なことで驚いたが、まんざらでもない話なので、この女の申し出を受けることにした。男は、この女のことは社員の一人というだけでよく知らなかった。
訪問した男から女の電話番号を聞き、自分の電話番号を書いた紙を女に渡すように頼んだ。男は、女に電話をした。1週間に1回電話をし、一ヶ月に1回、地方都市と田舎の中間地点の駅前の喫茶店で会うことを約束した。
三ヶ月経ち男は再婚する決意をし、母親に告げた。母親は「田舎暮らしで年老いた母や子どもがいること、すべて承知で来てくれるんだね」と念押しし納得した。息子の再婚話を喜んだ。