2025年4月21日夕方5時。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 9
民宿での餅つきのイベントが開かれた。女は客に餅つきを楽しんでもらうために、大根餅の作り方、きなこの用意、あんこの用意を教えた。餅つきが始まった。客全員に杵(きね)を持たせ、餅のつき方を教えた。子どもには小さな杵を用意した。客が恐る恐る杵を持ち上げ、餅をめがけつくと歓声があがった。客が楽しんだ後、男が足りない分の餅をつき完成させた。熱い餅をちぎり、きなこ、あんこ、大根おろしそれぞれの器に入れてからめ皿に盛った。都会育ちの家族は、歓声を上げ囲炉裏端に用意された御膳で満面の笑みを浮かべて食べた。餅つきのイベントは大成功だった。初めは手間がかかったが、男と妻は、客の餅ができる時の喜び、食べておいしいと感激の顔が何よりの喜びだと話した。残った餅でのし餅を作った。のし餅は帰りの土産品として囲炉裏端のちゃぶ台の上に置いて用意をした。夜は、郷土料理と大根料理を客に出した。女は、「大根おろし餅の大根、ふろふき大根の大根は、皆ここの畑で採れたものですよ。明日お客様に掘っていただきます」と言い、客を喜ばせた。
翌日、男は客の家族を連れて大根掘りに畑へ連れて行った。畑で客に掘り方を教え、客は大根を抜くと声を上げて喜んだ。冬の里山は寂しかったが、餅つきのイベントと大根掘りで人気が出た。男は、民宿仲間と大成功だと喜んだ。
「餅つきイベント&大根掘りの民宿」などと情報網への客の書き込みが評判を呼び、地方のテレビ局が取材に訪れた。「里山の古民家で客が参加する餅つきイベント」が放映されると評判を呼び、さらに全国の情報網に流れ客の予約が殺到した。男は、本格的に民宿をするために、古民家の横に家族用に別棟を建てた。料理は女一人ではできないため、地元の人をパートに雇った。女は専門的に料理を習いに行き、腕を磨いた。民宿経営に参加していなかった仲間の有機農家は、民宿の繁盛するのを見て民宿の農家として仲間入りをした。
3人の民宿の仲間は民宿が本業となり、農業はできなくなった。自分のところで食べる分の畑を残し、残りの畑を有機農業希望者へ貸そうと考えた。希望者を募り、有機農法を教えて貸すことにした。村役場に相談して農業従事者用の住宅を作ることを提案した。みんなの賛同を得て住宅を建てることになった。
有機農業希望者を情報網で募集したら、全国から応募者が集まり、休耕田はなくなり、村は活気づいた。古民家民宿は、宿の雑誌や報道網などで紹介され、ひなびた宿として古民家愛好家に喜ばれるようになった。
元会社の事務員から、社員旅行で民宿へ一泊旅行を計画している、と連絡があった。大人数だったので、三軒の民宿に分けて宿泊することになった。社員旅行一行がバスから降りると、男と妻が出迎えた。元いた会社だが、年月が経ち、知らない顔ぶれも多かった。懐かしい顔ぶれとの再会を夫婦は喜んだ。都会の社員たちは、里山の古民家を物珍しげに眺めた。男と妻は、元同僚の社員たちと懐かしい昔話やお互いの近況を語り合った。恒例の餅つきイベントが行われた。都会で行う餅つきとは一味違い、古民家で行う風情のある餅つきに社員らは喜んだ。酒が出され、歌を歌い、社員らはリラックスして田舎を楽しんだ。男と女は、楽しんで同僚を接待した。
夜は、郷土料理と新たに学んだイタリアンをメニューに増やし、若い社員にも喜ばれた。社長は、元社員夫婦の経営する民宿が気に入り、半年先の夏の民宿に二部屋を二ヶ月間借り切り、夏の会社の保養所として利用したいと申し出た。
夫婦は、社長からの長期契約を心から喜んだ。男の村は、今は日本の里山古民家の宿の村として、旅の雑誌で報道網で有名になった。