永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Bシリーズ 5

2025年9月25日朝8時10分。

『日本編』ある男Bシリーズ 5

男は、青年の言葉を聞いて自分の若い時の姿が蘇った。親や学校の教師、会社の上司に対して自分の感情や知識を正当化し、口から噴き出すように抗議したり、ある時は喧嘩腰に反抗した時代があった。その時のことが、次々と思い出された。若い時、どんなに多くの人に迷惑をかけてきたことか。そして社会に育てられてきたことに気づいた。
今までの男にはなかった大きな心の変化が起きた。男は、会社では、上司として部下からここまで話されたことはなかった。今回若者の本音を訊くことが出来た。会社という上下関係の枠のない出会い、旅だったから起きたことだった。男は、戸惑っていた。この険悪な雰囲気を消したかった。男は、今まで自分が無意識のうちに身につけてきた自尊心は、架空の自分の姿であるということに気がついた。本来の素直な心、魂の自分に戻りたかった。深くじっくり想った。そして、
男は、青年に躊躇しながらも静かに語り出した。「私はね、人生は単純な繰り返しで何も変化のないのが当たり前で、それが一番だと思ってきた。今までそう生きてきたんだ。しかし、昨日の一日を振り返り、繰り返し押し寄せる何の変哲もない波を見ていて、そんな波が岸壁を徐々に浸食し、景色を変えていることに気づいたんだ。自分の人生も同じように同じ繰り返しかもしれないが、実は繰り返しの一日がとっても大切なんだと思えたんだよ。目の前のお百姓さんの草むしりも、決して単なる同じことの繰り返しではないんだ。あの草1本1本全部違う生え方をしている。草の取り方もいろいろあるだろうし、ある程度草も残さなければならないこともあるだろう。外から見たら、同じように見える草むしりも、実は決して単純作業ではないんだ」
青年は、淡々と語る男の話をじっと聞いていた。話の展開で、青年は自分の一方的な見方で言ってしまったことに気が付いた。青年は、自分の弱点を素直に言う男を見つめ、「私の見解は浅かったです」と言った。草をむしるお百姓さんを見つめて生じた男と青年の緊迫した空気は、秋の涼風に流されていった。
男と青年は、農道をゆっくりと歩いた。たまに、作業用の小型車が、二人の横を通り抜けていった。これまで青年は、こんなにスローに歩くことはなかった。「レンタカーでも借りて思いっきり走らせたくなりますね」と言った。青年は、じっとしていられなかった。青年にとって、一日ゆっくりと海岸で過ごしただけで、気分は転換してきていた。彼は、コンピューターの情報を基に動いていた。スマホを見ながら脳を常に働かせている時が恋しかった。スマホをしまったことを心から後悔した。流れる音楽もない。退屈でつまらなかった。何もない景色は青年を遊ばせてくれなかった。青年は、男の話を理解し、今まで出会ったタイプの人間ではないと感じたが、これ以上共にいることが苦痛になってきた。青年にとっての旅は、一日で十分だった。早く帰り、スマホやコンピューターからの社会情報が欲しかった。インターネット、SNSから流れる情報から隔離されている自分はありえなかった。現代社会の1員から外されるように感じた。スマホやコンピューターの情報をもとに考え、動く自分に戻るため、青年は男との別れを決め、男に明日帰ることを伝えた。男は、青年の言葉に驚きもせず聞き流していた。2人の間には、わだかまりの空気はなかった。
寺が見えてきた。畑に囲まれた山道を抜けると、古木に囲まれた小さな寺があった。参拝し、木陰に休み、宿の主人の弁当を開いた。透明なプラスチックの包みに握り飯が3つ。香のものが添えられていた。実に質素な弁当だった。男は、米1粒1粒をかみしめていた。中には、梅干しと昆布の佃煮があり、適度な塩気が米粒と調和していた。素朴な握り飯が、心から美味しいと感じられた。変化のない田園と、村落の雰囲気とぴったりと調和していた。男にとって、握り飯に副菜はいらなかった。握り飯を食べる自分が、今、自然と1つになる幸せを感じていた。
一方、青年は今までの現実に戻っていた。昨日の出来事は、おとぎ話のようで、この握り飯を見て驚いていた。唐揚げも、卵焼きも何も入っていない。「すげーっ」とため息交じりに言った。添えられていたのは、ペットボトルの水だけだった。
青年は、現代の飽食にひたった生活を当たり前の日常としていた。コンビニに行けば、24時間いつでも美味しそうな弁当が並んでいて好きな物が選べる。コンビニは、彼の日常の要求を何でも満たしてくれる身近な万能店だった。青年は、握り飯を食べながら、コンビニの弁当を思い出していた。1つ1つ趣向を凝らし、毎日食べても飽きない芸術品だった。
宿の主人がつくってくれた握り飯は、あまりにも素朴だった。それは、青年にとっては単なる米の飯だった。青年は、気づかないうちにコンピューター、スマホ、コンビニに身も心も占領されてしまっていた。日常を生活するには、なくてはならなかった。新しく起業するにしてもコンピューター、スマホ、コンビニが身近になければ、仕事は成立しなかった。一方、男は何もない単なる握り飯の中に生きる喜びを感じ、1粒1粒の米をかみしめていた。

ブッダは言われた。「現代人は近代文明のもたらした産物がなくては、生きてはいけない。過去の歴史、大自然とともに生活した人間の魂に気がつかなければならない」