ハワイ大学で授業 10月17日

有難いご縁をいただき、ハワイ大学のジョイ教授のお招きにより、講義をさせていただきました。

内なる平和
という大テーマの中の、私の持ち分
テーマ 怖れと不安からの解放
行学融合 スタイルの講義です。観念的な講義にとどまらず実践・実感を重視する。
最初に数分の「心身の健康、各国の安全、世界平和」の祈り⇒テーマの講義⇒唱題の実践(まず参加者の中における講義の内容の実感体験)⇒質疑応答
でした。(下のユーチューブからご覧になれます。)
この実現にあたっては、ホノルル妙法寺住職&オペラ歌手の山村 尚正上人ならびに通訳ディーン氏、その他皆様方の多大なご尽力を頂きました。深く御礼申し上げます。  合掌
英語による講義でしたので超苦手な私としては、😅でした。

1人、花、テキストの画像のようです

斉藤 大法、、「COLLEGE SOCIAL SCIENCES MATSUNAGA NSTTUTE LACE hentyrHnn Inner Peace/Meditation Practice & Learning Series October 16th 3:00-4:00PM ADDRESS FEAR AND GRI Rev. Dr. Daiho Saito, MD」というテキストの画像のようです

 

 

 

 

 

ほんものの供養(法要)をオンラインで

当寺院の供養は、今日一般に行われている儀式的・慣例行事的な供養とは、趣が異なります。すなわち、霊魂は、目に見えるものではなく通常どのようであるかは、わかりません。したがってそもそも供養や法事といってもそれが実際霊魂にどのような影響を及ぼしたかは、わかりにくいものです。

しかし当寺院の供養では、亡くなられた御霊が今どのような状態であり、祈りによって成仏に向けて癒され安らかになってゆく様がリアルに表わされるのです。これは、個人的な霊感ではなく、また私の自我が意図的に操作するものでもありません。深遠なる御経=壮大な仏陀の御力によって表し出される霊妙な世界なのです。

当寺院は、コロナパンデミックをきっかけに供養をオンラインにおいても行っております。遠方その他の事情で当院にお出でになれない方でも以上のような内容の供養ができます。最近は、宗派を超えて広く国内外から依頼され実施しております。

インターネット環境とパソコン、スマホなどがあれば、一か所に集まらなくてもそれぞれ家庭や各場所にいたまま安全にしかも一定の臨場感をもって供養(法要)を行うことができます。もちろん亡き御霊に通じる供養ができます。

希望される方は、まずこのホームページのお問合せコーナーまたは直接お電話にてお尋ねください。 お問合せ – 宗教法人 要唱寺 (yousyouzi.net) / ☏ 048-553-0949 (要唱寺)

<当寺院の供養について> 単なる儀式ではなく、ほんものの”たましいの供養”を

供養 – 宗教法人 要唱寺 (yousyouzi.net)

たましいの供養 – 宗教法人 要唱寺 (yousyouzi.net)

合掌  要唱寺 住職  斉藤 大法

 

 

 

 

“With コロナ時代を生きる”

去る8月29日にホノルル妙法寺の 山村尚正 住職の依頼のイベントでお話と唱題をさせていただきました。
主たるタイトルは、”Honge Myogyo Shodai Practice from Hawaii” 「ハワイから本化妙行唱題実践」です。
副題としては、「唱題の実践者としてWith Corona 時代を生きる」です。
今、世界中でワクチン接種が盛んに行われています。
当初ワクチン接種率が、全国民の7割くらいに達すると集団免疫が成立してパンデミックは収束する、と期待されていました。
ところが、実際行ってみたところ、ワクチンは必ずしも充分な感染予防にはならず、ブレークスルーを起こし、ワクチン接種後も感染し、感染もさせることが分かってきました。現在の一般的見解としては、ワクチンの効果は、重症化する可能性を減少させることにあって感染防止には、ワクチンだけでは足りないと考えられるに至っております。
そこでワクチン接種後も従来通りマスクや手洗い、ソーシャルディスタンスなどが再び推奨されています。
デルタからラムダへとつぎつぎに変異株が生ずることもあって、今
「いつになったらコロナ禍からの出口を見ることができるのだろうか?」
という不安や恐怖や疲労感が、広がっています。
ワクチンや治療薬の開発は、科学的研究やその推進・整備に期するとして、それとは別に一般人としてまた南無妙法連華經を唱える者としてできる対策は、ないであろうかと考えてみました。
わたしは、次の三つの取り組みがあると考えます。
1. ウィルスに暴露乃至感染しないための取り組み・・・マスク、手洗い、換気、ソーシャルディスタンス
これは、国や自治体などが勧めてきた対策です。
ただし、これらは外的対策のみにて内的つまり自分自身の免疫や生命力の向上という視点がないか弱いように思います。ここで強調したいのは、
2. 自己の免疫(力)の取り組み・・・今回は、これについて私が考えられる主なものをざっとあげました。食、睡眠、運動、ストレス解消、祈り(セロトニンは、心の平安をオキシトシンは、生命力を高めるいずれも幸福ホルモンの分泌を促します)
3. 心、特に「(過剰な)怖れ」という感情のコントロールという対策
怖れが過剰になると、不信、猜疑心、分断、他への攻撃などを引き起こし、これが高じると社会的な崩壊すら起こしかねません。コロナ禍の出口がなかなか見えない状態が長く続くと恐怖や怒りの感情が人間の理性という防波堤を超えてしまうことがあるのです。大津波のように・・・。これまでこの取り組みをまともに行うことは、ほとんどなかったと思います。しかし、恐怖を引き起こす外的対象としてのウィルス対策だけでなく、それをどう受け止め、感じ、行動することができるかという人間側特に人間の心に目を向けることは、とても重要だと考えます。
以下、ご縁により、ハワイホノルルの妙法寺様にてお話しし、実践としての唱題をさせていただきました。時間の関係もあり意を尽くしきれませんが、以下のURLからご覧いただき何らかのご参考としていただければ幸いです。
☆特に3. 心の対策のためにも当寺院の唱題プラクティスに参加してみませんか。https://yousyouzi.net/archives/2630
合掌

たましいの供養

リーフレット『要唱寺の目指し行う供養』に、大法上人はつぎのように記されています。

修行を重ねた結果、亡き御霊の状態が感じられるようになり、読経や祈りを通して御霊が、清らかでとらわれのない意識へと変化し、成仏を象徴する蓮華台に乗り浄土へとお導きすることが出来るようになりました。

さらに参加された皆様方の心からの祈りが、亡き方にどのように届いているかもわかるようになりました。

大法師の供養は、まさに「たましいの供養」ですが、これを「単なる思い込みだろう」と考える人もあるでしょう。ですがわたしは真実であると実感しています。

大法上人に供養を依頼した方から、次のような言葉を聞いたことがあります。

「唱題中の大法上人の声や容貌が、供養をお願いした亡き父とそっくりに変化し、本当にびっくりしました」

大法師が故人のことをまったく知らなくても、こういったことが起こります。

遺族が、大法師の唱題の声や姿を通して、故人のたましいが安らぎを得て浄土へと導かれていくことを感じ取り、故人と共に癒されていく。

そのような光景を、わたしは大法師の「たましいの供養」に同席させていただいて見てきました。

わたしの拙(つたな)い「たましいの供養」の体験を記しましょう。

令和2年の晩秋、我が家の犬(小型のパピヨンでメスです)が亡くなりました。14年間わたしたち夫婦と共に過ごしたペットでした。わたしは、妻に頼まれてその供養をすることとなりました。

ペットは、最後は苦しまずに逝ったのですが、妻はペットがあの世で迷ってはいないかと心配していました。妻の悲しみと不安の念が伝わってきたからでしょうか、「暗く重たい供養の唱題になるのではないか」といった思いが、わたしの頭をよぎりました。

実際の唱題がどうなるかはまったくわかりません。そこに自己の思いや操作が入り込む余地はないのです。わたしは全集中の唱題をしました。すると予想外のことが起こりました。唱題はすぐに明るく軽やかなものとなったのです。

ペットがあの世で元気に跳ね回っているような感じの唱題となったと、わたしは妻に告げました(唱題中は、意識がなくなっているわけではなく、清明な心で自己を観察しています)。さらにわたしは、ペットが無心に無邪気にあの世にいるのを感じましたので、そのことも妻に伝えました。

その後、「考えてみれば、そうなるはずだよね」と妻に言うと、妻は私の言葉に頷(うなず)きました。

虐待を受けて、それがトラウマとなっているペット、飼い主への情が深く、それが執着となっているペットもいます(わたしは、嫉妬という感情を持ったペット犬を知っています)。

我が家のペットは、ちょっと我儘でしたが、可愛がられて幸せな人生、いや犬生を送りました。いつも無邪気に今を生きていました。それゆえ何の迷いや執着もなく、スッと上がっていったのではないかと、わたしも妻も感じています。

日常のわたしは、「なんで歯磨きのチューブのフタを開けっぱなしにしておくの」などと妻から叱られるのはいつものこと。妻からの信頼を得ていません。ですが妻は、わたしが行なった親族への供養にも接して、要唱寺の「たましいの供養」は信頼しているようです。

大法師は、『要唱寺が目指し行う供養』に、亡き御霊の状態を感じ取り、浄土に導くことが出来ることについて、つぎのように記されています。

それは私の個人的な念力などによるものではありません。仏法(ぶっぽう)が持っている大いなる力によるのです。  https://yousyouzi.net/memorial

わたしは、このことは「たましいの供養」における大変に重要なポイントであると思っています。

大法師とはじめてお会いする前に既にわたしは十数年間、唱題修行を続けてきていました。

その間、霊を明瞭に感じたことはありませんでした。要唱寺で修行をはじめてからさまざまなことがあり、半年ほどした頃から徐々に感じられるようになったのです。唱題に終着点はありません。これからも、どこまでも深まっていくことでしょう。

次回は、わたしの唱題体験と共に、大法師の言われる「仏法が持っている大いなる力」について触れることにいたします。