盂蘭盆(うらぼん)

「盂蘭盆(うらぼん)」「お盆(おぼん)」の時節が、まいりました。

わが国では、ご先祖様などをお迎えして、さまざまなご馳走などをこしらえてお供えし、喜んでいただく、満足していただくための様々な優しい心遣いや工夫がなされています。そしてそのために家族や親せきが集まって相親しむ団らんという面もありますね。お寺に集まって法要を行う場合もありますし、お坊さんに家に来てもらって読経していただいたりします。

もともとお盆は、お釈迦様のお弟子のひとり目連尊者(もくれんそんじゃ)の亡き母が餓鬼界の苦しみにあえいでいたのをお釈迦様の指導のもとに救ったことから起こった仏教行事とされます。日本だけでなく広くアジアの仏教国などで行われています。

当寺院では、すべての人が速やかに仏になれることを明確に説いた法華経に基づいて亡き方々の魂の供養を行っております。

この盂蘭盆の法要を通して、皆様のご先祖の方々が、たとえ最初は、悲しみや辛さがあったとしても、やがて静けさや穏やかさへと変わり、喜びや天の楽しみを味わい、たましいが満たされてゆくさまを共に感じていただけたら幸いです。    合掌

【臨死体験と脳と霊魂】

私は、医学生の頃、医師になってから、そして僧侶になってからも暫くは、死後の霊の存在を信じていませんでした。
その大きな根拠を与えてくれたのが、この脳外科医ペンフィールドの研究結果としての脳地図です。そのほかにも医学的な理由があります。
※ペンフィールドについて http://www.scj.go.jp/omoshiro/kioku1/kioku1_2.html
この動画をご覧ください。立花隆さんが登場します「ペンフィールド博士とシルビウス裂」 https://www.youtube.com/watch?v=JyE6qygxuaU
脳こそが、人間の精神活動をつかさどる場、人が死亡した場合、当然脳も死んでしまうのだから、その後の精神活動があろうはずはない。したがって死後の霊の存在などあり得ない、というのが私の考えでした。
ところが、かのペン・フィールドが、晩年「脳だけでは、人間の精神活動のすべてを説明できない」という結論に達し、このビデオにはありませんが、霊的存在を考えておられたのです。このことは、わたしにとってかなりの衝撃でした。
一方、わたしは、僧侶となってやがて数多くの霊的存在を明瞭に体験することになりました。その中には、死後間もない場合もかなりの時間を経過した場合もありました。単に死後の霊の存在云々だけでなく、霊が供養を受けて微妙に変化してゆく様に至るまで・・・。このことは、私の人生に大きな変革をもたらしたひとつです。
この動画では、立花隆さんと米国の医師メルビン・モースとの対談で、医師は、臨死体験は、脳の側頭葉シルビウス裂溝のあたりが関連している、としながらもそれだけれで説明し得ない現象(体外離脱体験した時に周囲の状況が見えている)があるといいます。
彼は、霊魂とシルビウス裂溝との何らかの関連において起こるのかもしれない、と考えているようです。

なぜ大法上人を師として唱題をすることとなったのか その2

前回に続いて、大法師とはじめて出会ったときのことから述べることにいたします。

唱題プラクティスの開始時間よりだいぶ早く妙善寺に到着したわたしは、大法上人が本堂に入堂するのを待っていました。そこには僧衣をまとったサポート役の僧侶、上人がすでにいらっしゃいました。わたしが 師と話をしていると、綿パンにセーター姿で斉藤大法上人が入って来られました。服装がカジュアルで少し驚きました。ですがその風貌は知的で、深い修行を積んできたことが伺われました。

大法上人の唱題をはじめて聞いたとき、「同じ南無妙法蓮華経でありながら、いままでにまったく聞いたことがない南無妙法蓮華経だ」と感じました。それは「声が渋い」とか「朗々としている」といった次元のものではありません。深いところから涌き起ってくる南無妙法蓮華経と表現したらよいのでしょうか。わたしはそこに、いのちの力を感じました。「わたしもこのようなお題目を唱えたい」。そう思いました(思ってすぐに同じように唱えられるものではなかったのですが)。

まず大法上人に指導されたこと。それは、遠慮せずに大きな声を出して、お題目と一つになるように全身全霊で唱題するということでした。『鬼滅の刃』の登場人物は「全集中の呼吸法」を行いましたが、わたしは「全集中の唱題」を行うこととなりました。「とにかく理屈は置いておいて、まず素直に全面的に師の指導に従ってみよう」。そう思いました。

指導されたとおり、身体(からだ)全体でお題目を唱えてみますと、腹の底から涌きあがってくる力を実感されます。それは感動的な体験でした。たましいの深部にある煩悩の闇のさらに奥から、大いなる仏のいのちが現れてくる。そんな感じの唱題体験です。これは「自己の内なる仏性(仏としての本性)への目覚め」と表現してよいかもしれません。

この体験をした直後、わたしは大法師のもとで唱題修行をしようと心に決めました。

ここで付け加えておきたいことがあります。それは、この時わたしが唱えたお題目は、今振り返ってみると未熟なものであったということです。さらに言えば、今わたしが唱えているお題目も、未来のわたしから見れば未熟なものに映ることでしょう。

大法上人の指導によって唱えるお題目は日々変わっていきます。昨日の唱題より今日の唱題。今日の唱題より明日の唱題というように、時には停滞することがあっても、変化、成長していくのが師の指導する唱題行であるのです。

仏の世界に向かって日々唱題をしていく道程(みちのり)。この道程では、つまずいたり転んだりすることもありますが、この道を歩んでいくことを何よりも有り難く尊いことであるとわたしは感じています。それはたましいの輝きを少しずつ増していく道です。

「お題目には不可思議な力があります。唱えるとお釈迦さまや日蓮聖人のお導きを受け、そのご加護を受けることができるのです」。そのように言う人がいます。わたしはこれを否定しません。ですが大法師がこのように言われたなら、師の指導を受けることはなかったでしょう。

『法華経』は誰もが仏になる可能性を持っていて、これに例外はないといいます。この可能性をどこまでも信じて唱えていくのが大法師のお題目であると、わたしは感じています。

外なる力に頼るお題目ではなく、内なる仏としての本性に目覚めていくお題目。それこそが日蓮聖人の唱えたお題目であったのではないかとわたしは考えてきました。大法師のお題目は、まさにそのようなお題目であるというのがわたしの実感です。

今、わたしは出会いの不思議さ、すばらしさといったものを感じています。

おそらく大法師の唱題の仕方を解説した文章を読んで唱題しても、先に述べたような体験をすることなかったでしょう。YouTubeで大法師の唱題を視聴したとしても、実際に師と会った時と同じような感動を味わうことはなかったと思います。それは、わたしのたましいが大法師のたましいに直に触れて、はじめて得ることができた感動であった気がします。

現在、大法師からZoom上で唱題の指導を受け、修行が深まっていくことを実感しています。これはこれでとても有り難いことです。ですが、さらに いのちといのちが直接向き合うことによってしか起こりえない目覚めというものがあるのではないかと感じています。

なぜ大法上人を師として唱題することとなったのか。理由をまとめれば「自己のたましいが癒され、輝きを増して成長していくことが実感されたから」ということになります。

大法師と妙善寺ではじめてお会いしたのは令和元年12月11日。指導いただいてからまだ日は浅く、わたしの唱題は未熟です。ようやくこれから僧侶としての本格的な唱題修行がはじまるのだろうと思います。

つづく

なぜ大法上人を師として唱題をすることとなったのか その1

さまざまな宗派の修行を体験して唱題に行き着き、わたしは日蓮宗の僧侶となりました。なぜ最終的にお題目を唱えるという修行を選んだのか。また僧侶になったのか。そのわけは後に回すことにして、まず、なぜわたしが大法上人を修行の師として唱題をすることとなったのかを述べることにいたします。

仏教の修行の目的。それは、あらゆる執着、囚われから解き放たれ、平安、喜びを得て、最終的には、どこまでも深い慈悲と智慧をそなえた仏と成ることにあります。

私は十数年間、唱題修行をしてきました。

唱題をしていく過程で、わたしの心は落ち着きを得ることができるようにはなりました。ですが、自分を縛っている思いから解放され、深い平安、湧き出てくる喜びといったものを感じることはできていませんでした。

大法上人を修行の師と仰いだのは、師の唱題を聞いて、「このようなお題目を唱えることができれば、深い平安と喜びを感じることができるのでは」と、修行が停滞している中で希望の光を得たからです。

ディール・カーネギーの有名な自己啓発書、『道は開ける』につぎのような記述があります。

「私たちが日常生活で得られる心の安らぎや喜びは、自分の居場所や持ち物や、身分によって左右されるものではなく、気持ちの持ちよう一つできまる…。外部の条件はほとんど関係がない。」

まさにそのとおりだと思います。物質的、社会的に恵まれていても心の安らぎや喜びがない人はたくさんいます。

先日、東横線に乗車していた時のことです。

ラッシュアワーの時間帯の前でしたが、車内には多くの人立っていました。何気なく周囲の人の顔を見ると、学生もサラリーマンとおぼしき人も皆、生気のない顔をしています。仕立ての良いスーツを着た紳士は苦虫をかみつぶしたような顔をしていました。

そこに白い杖をついた、つつましい身なりの青年が乗車してきました。目が不自由なようです。ですが彼は穏やかな顔をしていました。何か明るく軽やかなものも感じました

気持ちの持ちよう一つで幸せになれる。そう、わたしはその青年を見て痛感しました。

とはいうものの「気持ちの持ちよう」を改善するというのは実に難しいものです。周囲の人との関わりの中で、しょっちゅう傷ついたり落ち込んだりする自分。そんな自分の「気持ちの持ちよう」をコントロールすることは、わたしにとって、唱題修行をしていても容易なことではありませんでした。それが大法上人の指導下で唱題をしてみて、唱題によって「道は開ける」と確信できるようになったのです。

大法上人とはじめて出会ったのは、六本木、妙善寺の本堂で行われた唱題プラクティスの場でした。大法師のことを知ったのはその前日です。インターネットを検索中に、たまたま上人のことを紹介するエッセイに遭遇したのです。そこには、大法師がお題目を唱える僧侶であることと、エッセイの筆者が大法師の下(もと)で癒された経験が記されていました。それまで師のことはまったく知りませんでした。

読了してすぐ、わたしは「この僧侶に会おう」と決めました。明確な理由があったわけではありません。この僧侶はわたしの求めているものを与えてくれるかもしれない。そのように直感したのです。

偶然の出会いが人生を変えることがある。今はそんなことをつくづくと感じています。目に見えない仏の世界のはからいがあったのかもしれません。

つづく

人々が宗教から離れてゆく時代の中で その2

「新宗教は怪しい。伝統仏教は無力」。前回このように記しましたが、これはお題目についても同様のことが言えそうです。

「新宗教の人たちが唱えるお題目は危険な匂いがする。仏教の僧侶が唱えるお題目は、伝統文化の中で継承されてきたもので、危険ではないだろう。だが心の救済という点で力はなさそうだ。」
現代人のお題目についての大方のイメージはこのようなものではないでしょうか。
お題目を唱える一部の新宗教の人たちの強引な布教に不快な思いを抱いている人は多く、特にお題目系の新宗教は用心されているようです。

大法上人は大学病院で精神科医をしていらっしゃったので、大法師に心の悩みを相談する人は、師を僧侶としてというよりも(もちろんそれもあるでしょうが)精神科医として、その人格を信頼して師のカウンセリング受けているようです。そのため、大法師とのご縁で唱題をしている人は、それが仏教の修行法であると強く認識していない気がするのです。

そのことを、むしろ好ましいとわたくしが思うのは、「怪しい」とか「無力である」といった既製の概念を離れて、手垢の付いていないマッサラな状態で唱題と向き合うことができるからです。
また大法師とつながっている海外の人たちは、日本の宗教文化に馴染みがないため、かえって無心に唱題と向き合うことができているようです。

今述べてきましたように、現代の日本には、人々の多くが宗教に好ましくないイメージを抱いていたり、無関心であったりという状況があります。
新宗教のほとんどが衰退傾向にあり、伝統仏教の世界では寺離れ、葬式離れ、墓離れが進んでいます。これに歯止めをかけることは難しいでしょう。
ですが、教団の勢いは衰えても本物の宗教の教えは決して消え去ることはないだろうと、わたくしは考えています。大型書店には一般人向けの仏教書がぎっしりと並んでいます。宗教の組織を離れて仏教の教えに救いを求める人は少なからずいます。
わたくし自身、教員として、夫として、また父親として多くの悩みや苦しみを経験し、それを超えるために仏教の世界を彷徨(さまよ)って来ました。そして最終的に出会ったのが唱題です。
唱題はわたくしにとって、嵐の闇夜を照らす灯台の光となりました。いずれ、この光に出会うまでの体験も記していきたいと思っています。

次回は「なぜ私が大法上人のもとで唱題をしているのか」について記すことにいたします。