永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Bシリーズ 3

2025年9月11日朝8時半。

『日本編』ある男Bシリーズ 3

男と青年は、沈む太陽を見つめていた。今まで何気なく見ていた太陽が、水平線に吸い込まれるように落ちていくのをただじっと見つめていた。


急に空気が変わった。昼間の営みが全て終わり、休息の世界へと導かれていくのを感じた。ニ人は黙々と歩いた。簡素な宿に着いた。それは、老人が営む、ローカルな鉄道沿いにある民宿で古い家の周囲に畑がわずかに広がっていた。旅の者が体を休めるだけのしつらえで余計なものは一切なかった。老人(宿の主人)は、ニ人を笑顔で迎えた。静かで温かい雰囲気がにじみ出ていた。日没に心を奪われていたニ人にとって、老人の姿は最高のもてなしだ。
老人は、潮風にさらされて、磯の香りに包まれているニ人の姿を見て「風呂が沸いてます。食事の前にいかがでしょうか?」としわがれた声で言った。旅のニ人は、老人の言葉に従った。青年は、湯船につかり、一日の出来事を思い出していた。

あくせくして働いていた都会の日常との違いを肌で感じ、緊張した神経が解きほぐされ、今まで気づかなかった本来の姿に近づいていく心地よさに浸っていた。男は薄暗い風呂場で湯船につかりながら、会社や家族の束縛を振り払うようにして出てきた自分と、今まで考えようともしなかった自分の魂の存在を、命の重みを新鮮に受け止めていた。先ほどまで見ていた空、海、風、波、太陽に自分が溶け込んで一体となっていた。風呂の湯も、今までとは違って見えた。湯そのものが、ありがたかった。民宿の老人の作る夕食は、心がこもっていた。宿の目の前の畑で採れた野菜、近場でとれた魚を素材として簡単な調味料で作った料理からは、生命力がにじみ出ていた。
海を見ていた旅人ニ人の魂にとって目の前の料理が眩しかった。料理の1皿1皿をゆっくりと味わった。米一粒、魚、野菜ひとくちを噛みしめながら…。今まで都会の生活ではありえない魂の開眼だった。
1つ1つ、生き物として生きている命をいただくこと。作り手の愛情や今まで当たり前だと思っていたことすべてに対する感謝の念が自然とこみ上げてきて魂を満たしてゆくのだった。

地涌唱題プラクティス 10月予定

<知識・情報の時代から”魂”の時代へ>                         これまでは、知識・情報の時代でした。知識は、特に日本において尊重され大きな力を持ってきました。その象徴が博士ですね。もうひとつ究極の姿が、AIです。AIにより人間のあらゆる能力が凌駕されてゆくと言われています。ほとんどの知識は、AIとって変わられる。このような時こそ一番大切なのが、魂の力なのです。魂は、AIによっては代替できないからです。また、ここが現代人にとって最も欠けているものです。  ※だからといって知識は、もういらないという話ではありませんので誤解なく。    

<地涌唱題プラクティスの意義>                

古代からの叡智(仏法)に基づき、私たちひとりひとりの”純粋な魂の力”を現わし出す。        

それこそが、これまで現代人が疎かにしてきた事柄であり、これからの時代の人びとが最もやるべきことです!!!  それが、当寺院で行っている、地涌唱題(じゆしょうだい)プラクティスです。魂は、言葉では教えられないし、観念によって導き出せるものでもない。涌き出る実践が必要なのです。そして魂こそ、生きてゆく智恵を生み出す母なのです。

※地涌唱題プラクティスは、大いなる利益である“魂の力”を得ることが出来るのです。世間で思われているご利益とは、これに比べると小利益であり、「大は小を兼ねる」と言われるように、地涌唱題においては小利益は特に願わなくても叶うべきものは自ずと叶うのです。

 

↓地涌唱題プラクティスの一風景

トピック: 地涌唱題プラクティス  10

A, 日時: 2025年10月                                 火曜日・・・10月14日、21日                             02:00 PM~03:00PM ② 08:00PM~09:00PM  日本時間 (①②のどちらか一方または両方参加することもできます)

B, 土曜日・・・10月4日、18日、25日                      08:00PM~09:00PM  日本時間

※カメラ : 原則カメラオン ただし、録画しアップする場合があるので映りたくない方は、オフにしてください。

 C, 要唱寺地涌題目道場での唱題修行日                        13日(月)・23(木)の午後1時~4時                            ☆万が一急に中止される場合は、要唱寺ホームページ  第一面『お知らせ爛』に出来るだけ早く掲載します。当日確認の上、参加されてください。

参加費 : 布施(料金として定めておりません。その方の出来るところで布施頂けると幸いです) ※この唱題は、長年の修行の練磨、様々な方々の労苦並びに諸設備の維持・補修等によって成立しています。その持続と発展のためにその方の出来るところで自発的に布施(寄付)いただけるとたいへん有難く存じます。 ・御布施振込先→https://yousyouzi.net/?p=565&preview=true

参加を希望される方は、以下要唱寺のメールアドレスにご一報(お名前と参加希望の意志)ください。Zoom唱題プラクティス参加のための案内詳細 URL,ID,パスコード等を返信申し上げます。daiho_cs@yahoo.co.jp

<地涌唱題とは?>

地涌題目(唱題)とは?

永遠の仏陀からのメッセージ 『世界平和へ』

2025年9月30日、朝5時20分。世界平和を祈り唱える題目の中で永遠の仏陀との交流が始まった。虚空での出来事です。

今の世の中で一番大切なのは、慈悲と慈愛である。法華経が一番必要とされている。南無妙法蓮華経とは、宇宙の法則である。妙法の意味を説明する言葉はない。なぜなら宇宙の法則は奥が深く、言葉には、言い表すことができないからである。
慈悲と慈愛は、思いやりの心である。人の痛みを、我が痛みと捉えなければならない。人は、皆、自分が可愛く大切である。この心を他者へ向けなければならない。今こそ、人類はおごりを捨てなければいけない。大切な時が来ている。


他人の痛みを我が痛みと感じれば、人は他人に優しくなれる。我(が)を捨てよ。我を捨てるには、妙法を唱えるのが一番の近道である。できなかったら、昨日の自分より、今日の自分が少しでも他人に優しくできたか、を振り返る努力をしなければいけない。人間が、本来持っている愛の心を目覚めさせなければならない。自愛(自己中心の愛)を慈愛(仏の愛)へと導くのである。毎日の努力によって自分自身が変わってゆく。
少しずつ他人に優しくなり、争いや闘争心の意識がなくなってゆく。人間は、今、自分自身のあり方を見つめ直さなければならない。成長し続けた経済・社会に翻弄され、今生の競争社会で生き抜かんがために人間本来の心のあり方を捨ててしまった。
乱れた世界を正すには、日常から始まる。まず、起きたら万物・生物の命のもと太陽に感謝せよ。朝、明るい声で挨拶する。明るい挨拶の声は、言霊となって他者を温かく包む。一日を振り返り、人に優しくできたかを反省することである。金銭苦、人間関係の苦しみ、病苦の最中にある人でも、どのような辛い日々であっても、「ありがとう」の感謝の言葉を伝えるのである。努力するのである。その言葉「ありがとう」が、苦しんでいる状況の当人を変える言霊、人生を根本的に変える言霊であることに目覚めなければならない。感謝の言葉は、苦難にあえぐ人や病気の人の魂を輝かせ、明るい言霊となって言われた他者をも包む。感謝の言葉が身につけば、どんな状況、環境にあっても、他者に優しくできる。必ず自分自身が変わっていく。環境が変わっていく。ありがとうの言葉を忘れてはいけない。
他者に優しくすることは、仏の愛に包まれて、自分自身がほんとうに幸せになることにつながっていくのである。苦しさから逃れたいなら、感謝の言葉「ありがとう」を言わなければいけない。自ずと慈悲と慈愛の心が芽生える。思いやりの心が芽生える。
感謝の言葉は、己が幸せになり、世界人類が平和になる一歩の言葉である。


以上、仏陀より虚空にて…。 合掌

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Bシリーズ 2

2025年9月7日朝8時10分。ブッダは、ブッダシリーズが始まると言われた。

『日本編』ある男Bシリーズ 2

男は、青年の瞳を見つめていた。その瞳は、まぶしかった。自分が失ったものの大きさに気が付いた。青年は、将来の希望に満ちていた。人生の波濤を乗り越えようという強い意志が見られた。
自分自身に光を灯し、社会に生きる道を模索していた。男は、青年の話を聞きながら青年との旅を考えていた。お互いに共通する意識の確認をし、思い切って問いかけた。青年は一瞬たじろいだが、「面白そうですね」と答えた。

青年は、会社に退職届を出した。男は妻と家族に1週間有給休暇を取り、旅に出ることを告げた。妻は何のことだか理解できなかったが、夫の最近の沈みがちな様子に強く否定することはできずに聞いていた。妻は今まで自分中心で動いていた家庭生活の軸が、夫の突然の言葉で崩される不安に襲われていた。今までの安定した家庭生活、人並みの生活が崩れるのを恐れた。しかし夫の言葉には、反論し難い強い意志を感じた。会社は、建前では有給休暇はあるが、突然の1週間の休暇の申し出を決して快く受け入れなかった。男は、自分がいない間の仕事の段取りを周囲の者に告げ、いなくてもできるように準備をした。これまで疑問を持たずに働いていた時とは違って、男には青年のように心に灯火が点いていた。

10月の中旬、男は軽い出で立ちで、最低限の荷物をリュックに詰めた。目的地は特別なかった。なるべく自然の中で歩きたかった。青年も一致して海と山が見える目的のない旅に出発した。都会から離れて、ただひたすら鉄道にゆられてゆくとやがて岩に荒々しく波がぶつかる海辺の景色が展開した。遠くに見える景色の処に行くことに決めた。下車して歩いた。不思議な気持ちだった。まだ大してお互いを理解し合えない2人が海辺を求めて黙々と歩いた。車窓から見えた景色が目の前に迫ってきた。
2人は、人がいない岸壁に座り、打ち寄せる波や大海原を眺めていた。男は潮風にさらされながら自分を見つめていた。会社で働き、家庭を築き、当たり前の生活をするために働いていた。当たり前の社会の一般人の基準を保つためにがんじがらめになり働いていた自分の姿に気がついた。心は自由となったが、反面今まで築いていた家庭の重みと責任を感じ、心が痛んだ。自分を満たすために何が欲しいのかも分からなかった。今まで凝り固まっていた自分自身の枠が、打ち寄せる波によってボロボロと砕けていくようだった。青年は広い海原に自分の未来を感じ、寄せくる波に闘志を燃やした。会社を辞め、何も束縛されるものがなくなり、身が軽くなっていた。自分の安定したレールを断ち切り、未来への旅の一歩を歩み出した。新鮮な躍動を感じた。青年は男に話した。「僕は勇気を出し、会社を辞めてよかった。他人から見たら一流会社かもしれない。もったいないと言われる。今の僕にとって、それは社会の基準であって僕自身ではない。ここへ来てよかった、何もない真っ白な自分になれた。自分自身で人生の舵取りができたような気がする」と言った。男は青年の言葉が眩しかった。
男は、決心をした。これから自分自身の舵取りをして生きていこう。家族は多少犠牲になるかもしれない。残された人生をどう生きるか、真剣に考えることにした。自然は素晴らしかった。この人気の少ない浜で男と青年は語り合った。


人生を見つめる力と勇気を感じていた。男は、青年の素直さに心打たれた。青年は、社会人の先輩が心開いて語る姿に余計親しみを持った。いつしか、夕陽は水平線に沈もうとしていた。隠れゆく太陽に空全体茜色に染まり、二人の感動は頂点に達した。陽は落ち、次第に夕闇が迫る中静かに宿へと向かった。心は、清々しく軽ろやかだった。

ブッダは言われた。「人生行き詰まった時、大自然の中に身を委ねよ。大自然と1つになれば身は軽くなり、本来の自分の姿が見えてくる。人間は自然界の一員である」

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Bシリーズ 1

2025年9月5日朝5時半。仏陀は、言われた。「今日からブッダシリーズが再開される。まず唱えよ。唱えよ、と・・・・・」

『日本編』ある男Bシリーズ 1

或る町の話である。
ある男が仕事を終え、一日の疲れを肩に背負って歩いていた。希望も生きがいもない。
ただ生きているから、家族がいるから、働くだけ。それに何も疑問を持っていなかった。人並みの生活はしているし、世間から見ても過不足なく平均的に暮らしていた。
ある日、仕事を終えての帰宅の途中に本屋に立ち寄り、本棚から1冊の本を手に取ると、隣にいる若者も同じ本を手にしていた。親近感を覚え、思わず話しかけると、その青年は、素直に自分を受け入れるように瞳を輝やかせ、静かに頷いた。男は、青年と自分に共通する意識を感じた。ただ、それだけの出来事だった。

その後男は、仕事の帰りに毎日本屋に立ち寄り、時折青年と出会った。青年も男を受け入れてお互いに通じ合うものを感じ、挨拶を交わし、そのうちに話をするようになった。
青年は、今の世の中で生き方を模索していた。彼は、コーヒーを飲みながら「会社に勤めて2年目、仕事は覚えたけど、果たしてこのままこのレールに乗って仕事をして、家庭を持ち、人生を終えていいのだろうか。何か自分の生きる道があるのではないか、と思うんです」と語った。男は、若者をじっと見つめながら自然と想いを巡らしていた。人生の後半となったが、今まで安定した生活と職場での地位を得、不安も疑問も持たずにいた。それ以上の出世欲もなく、ただ仕事熱心で、上司や同僚からは誠実と言われる人柄だった。妻は、正反対の考え方で「だからあなたは出世しない」と不満を持っていた。そして常に人と比較し、他人以上の生活をしたかった。男は、妻が作った家庭のルールにくたびれていた。そんな時人生を見つめる青年の話が、新鮮で眩しかった。

男は、今までの人生を振り返った。生き方を問い出した。社会人として通用しても、心は何ひとつ充実していないことに気がついた。男は、青年と度々会って話をした。男は、若い頃自分も抱いた疑問であったことを思い出し、再び「生きる希望、何で生きるのか、ほんとうは何をしたいのか?」と考え始めた。…

ブッダは言われた。気がつけば、人生は変えられる。年齢ではない。心のあり方によるのである。