米国では、病院で「祈り」や「瞑想」が普通に行われている!!

現代医療は、薬物など外部から体に与えて治そうとする方法が今のところ主流です。 古来より祈りが効果があることは、経験上知られていましたが、科学的に実証されてきませんでした。なので医師や一般の人々の多くは、祈りは気休め程度のものとして考えておられると思います。

ところが、そうした時代も少しずつ終わりを告げようとしています。近年アメリカなどでは、科学の発展に伴って「人間の意識」の研究が盛んになされ、かつ医療その他の現場で応用される時代となっています。

そのひとつとして、祈り、というものが病気を治したり、犯罪や殺戮などを減らす効果があるということが検証されるようになってきたのです。 既にアメリカなどでは、およそ半数の医師がヒーリングや祈りを臨床の現場で普通に行なっており、その効果が公認されております。

以下は、その一例です。 米国心臓外科医ランドルフ=バード博士の祈りの実験(1988年) 米国東海岸から西海岸のサンフランシスコ総合病院の心臓疾患の患者393名を祈るグループA群192名と祈らないグループB群201名に分け、二重盲検法にて実験を行ないました。つまり、これらの患者は、祈られていることさえ知らされていなかったので、いわゆる気休め効果さえもないはずなのです。祈るグループについては、カトリックならびにプロテスタント教会から募集して祈ってもらいました。

祈られたグループ(A群)に圧倒的な効果が、現れたのです。

<結果>

項目 A群(192人) B群(201)
抗生物質を必要とした人の数 3 18
心臓疾患の結果肺水腫となった人の数 6 18
気管内挿管を必要とした人の数 0 12

ラリー・ドッシー 「魂の再発見~聖なる科学を目指して」より

以来米国では、臨床に治療として祈りが行われるとともに、その科学研究が盛んに行われるようになったとのことです。

 

「生きるとは」芳村 思風 より

最近感動した 芳村 思風 著 『感性の時代』より紹介させていただきます。

人間において生きるとは
ただ単に生き永らえる事ではない。

人間において生きるとは
何のためにこの命を使うか
この命をどう生かすかということである。

命を生かすとは
何かに命をかけるということである。

だから生きるとは
命をかけるということだ。

命の最高のよろこびは
命をかけても惜しくない程の
対象と出会うことにある。

その時こそ、命は最も充実した
生のよろこびを味わい
激しくも美しく燃え上がるのである。

君は何に命をかけるか。
君は何のためなら
死ぬことができるか。

この問いに答えることが
生きるということであり
この問いに答えることが
人生である。

コロナ禍や戦争などが引き起こす不安・恐れ

新型コロナ感染が、はじまって早や丸二年を経た。この間、手洗い・マスク・ソーシャルディスタンス、加えてワクチン接種も施行され、少しずつではありますが、治療薬も開発されてきました。

一安心と言いたいところですが、次々に変異株も現れたりワクチンも万能とまで言えない状態の中で、まだ以前のような開放的・活動状態には、程遠いものがあります。

目に見えないものが、いつ襲ってくるかも知れないという脅威が、かくも長く続くと神経的にも精神的にも思いのほか疲労・ストレスがたまり、精神的不調をきたすことがあります。

またウクライナにおけるロシア軍侵攻の長期化なども私たちの不安や恐れに繋がっている場合も少なくありません。

当寺院では、このようなことに対して精神医学的・心理学・仏教的(祈り・瞑想)見地からいわゆる医薬によらないカウンセリング&瞑想による心の健康を目指し行っております。

インタビュー番組「DIALOGUE TEMPLE」より  https://yuiinc.com/reverendinterview0214/

 

 

東日本大震災慰霊法要&平和の祈り

2022,03,11
<祈りは、自らに平穏と思いやりの灯をともすとともに周囲をもほんのり照らしてゆきます>
当寺院では、東日本大震災におけるボランティア活動とともに毎月慰霊法要を行って参りました。
本日(令和4年3月11日)午後1時~慰霊法要を行いました(午後1時から50分間くらい)。
1. 法要(~32分)
2. 対談(33分~44分) 斉藤 大法 &小島 弘之
3. 平和の祈り(45分~)
合掌
国際唱題センタ―
要唱寺 住職 斉藤 大法 / 僧侶 小島 弘之
要唱寺の供養について : https://yousyouzi.net/memorial

『世界平和の祈り』について

修行上の弟子 小島 弘之 上人のブログ『世界平和の祈り~体験する仏教』より

https://kasinoki1957.hatenablog.com/entry/2022/03/09/115114?fbclid=IwAR2HOFyI0Jr4Lsl3LS_Nwp0RvRWwKs2hmyhT9ZW1VG07LT2BOITrSPGIbHk

ウクライナの状況を思うと胸が痛む日々が続いています。

今、多くの人々が世界の平和を祈っていることと思います。

「祈ることくらいしかできない」と言う人がありますが、この言葉には、「祈りには効果がある」という確信はありません。はっきりと「祈ってもしょうがない」と言う人もいます。

ですが、わたしは、平和の祈りをする人を素晴らしいと思います。世の中には、自分のことだけにかまけて生きている人が多くいるのですから。

さて、本当に祈りには効果がないのでしょうか。実は、祈りについての科学的な研究が行われており、祈りが他者に及ぼす効果が確認されているのです。

医療ジャーナリストのリン・マクタガードの著作『パワー・オブ・エイト』(ダイヤモンド社刊)の帯には、次のように本書が紹介されています。

「病気の人を癒そう、世界から紛争をなくそう、という思いから始められた集団で意識を送る実験。世界中に参加者を募った大規模実験から、わずか8人の小規模実験まで規模を変え、ターゲットも植物の種子から人間、世界の紛争地域までさまざまに変えて得られた結果は、あまりに素晴らしく、予測を超えたものだった!」

他にも医学博士のラリー・ドッシーなどの優れた祈りについての研究があります。ラリーには『祈る心は治る力』(日本教文社刊)などの著作があります。

彼らの研究では、祈られた人だけではなく、祈った人にも明らかな癒しの効果が見られたことも報告されています。

先日、斉藤大法上人とジャカルタのエルフィナ妙布上人の呼びかけで、ウクライナ問題の収束に向けて、インターネット上で僧俗を問わず複数の方々と唱題による世界平和の祈りをしました。

祈らせていただいて、わたしは祈りがウクライナの人たちに届いた実感を得ました。「それは思い込みでしょう」と言われれば否定はできません。ですが唱題の声は自ずと変化し、重たかった唱題の声が、最終的に安らかな声となったのは事実です。

唱題中はただひたすら唱える南無妙法蓮華経と一つになる「無願の唱題」をしました。先のラリー・ドッシーの著作には、「~でありますように」という祈りの言葉を捨てた「沈黙の祈り」が充実した祈りとして紹介されていますが、これは「無願の唱題」と相通じる祈りであるといってよいようです。

一人の祈りには限界があるかもしれないけれど、確かに祈りには力がある。そうわたしは実感しています。