世界を癒す 24時間御題目リレー 5/16

<はじめに :  世界を癒す24時間御題目リレー についてこの企画は、新型コロナウィルスパンデミックが起こって間もなく、インドネシア ジャカルタ 日蓮宗 蓮華寺のエルフィーナ・妙布 上人が発起人となって世界中の日蓮宗寺院に「世界を癒すために一緒に祈りましょう」と呼びかけたところ多くの参加者が現れ、2020年5月より、毎月行われています。

 唱題センター(要唱寺内) 担当分  5月16日  10:00ー13:00~ 当日 Face book の 24 hours Odaimoku offering to heal the worldにてご覧になれます。 24 hours Odaimoku offering to heal the world | Facebook

<演題 >  ①ー③

① 斉藤 大法&小島 弘之祈りとは?』第二弾  10:0011:00   

・祈りの効果と限界 ・祈りの限界を超える仏道  ・なぜ今唱題なのか? ↓前回4/17の対談風景

みんなで唱題~体験・感想・コメント  11:00ー12:00  ↓前回4/17野唱題風景

③ 唱題法華三昧による祈り12:00ー13:00  ↓前回4/17 僧侶による唱題風景

当寺院の祈りは、唱題です。南無妙法蓮華経と単に同じことの繰り返しのように思われるかも知れませんが、そうではありません。南無妙法蓮華経と至心に唱えることにより、私たちの自我意識が超えられ永遠の仏陀と一如となった時には、永遠の仏陀からのメッセージとしての御題目が現在この瞬間を生きるわたしたちに涌きあがってくるのです。

 

世界を癒す24時間御題目リレー 4/17報告

24 hours Odaimoku offering to heal the world ~世界を癒す24時間御題目リレー 4月17日

<はじめに :  世界を癒す24時間御題目リレー について この企画は、新型コロナウィルスパンデミックが起こって間もなく、インドネシア ジャカルタ 日蓮宗 蓮華寺のエルフィーナ・妙布 上人が発起人となって世界中の日蓮宗寺院に「世界を癒すために一緒に祈りましょう」と呼びかけたところ多くの参加者が現れ、2021年5月より、毎月行われています。

埼玉県 要唱寺 担当分 12:00―15:00

1. 対談 斉藤 大法&小島 弘之『祈りとは?』12:00―13:00  / 現代に蘇る祈り 祈りは、効く 祈る上で大事な心~純粋意識 唱題における純粋意識の大切さ

 

2. 僧侶による唱題(祈り) 13:00ー14:00 唱題とその内容についての解説・コメント

 

3. みんなで唱題(祈り) 14:00ー15:00 唱題は、何をもたらしたか? 体験の感想とコメント/ 参加者 : 石黒 晃子  藤原 秀博 柳谷 正 木村 洋介 髙山 敬恵子

 

 

祈り

日蓮聖人の「祈祷抄」という書に

『法華経の行者の祈りの叶わぬことは、あるべからず』

という言葉を発見した時、震えるほど感動した。と、同時に何と厳しい言葉かと身の引き締まる思いがした。単純に「祈りは、絶対に叶うぞ」と言っているのではない。「法華経行者」という前提があるのである。この言葉が、身を引き締まらせる要因である。

だから、先ず祈る自分が、法華経に照らし合わせて正しいか? 祈る内容に正当性があるか?

つまり自分本位の欲望を満たす祈りなどは、不可であることは言うまでもない。加えて祈る心が純粋に妙法蓮華経と一になっていなければならない。邪心をさしはさんではならないのだ。

そのうえで『絶対信かつ命懸けの祈り』でなければならない。そうした先に自我意識ではなく、妙法蓮華經=永遠の仏陀の慈悲が発揮されるものである。そもそも法華経の行者の祈りとは、自家発電的祈りではないのである。そのことも問う必要がある。真にそこに住して行っているか?

そして、祈った結果を検証して、自らの修行にフィードバックし、向上をはからねばならない。

結果が出たからと言って傲慢になったりしてはいけない。自分の力で成したのではない。有難くも妙法の力によるのである。

 

 

瞑想の真実

「ね、なぜ旅にでるの?」「苦しいからさ」

こんな一節が太宰治の『津軽』にありました。

わたしも昔、苦しくて旅に出たことがあります。

コロナ禍で今、旅をすることが困難となっていますが、自宅にいて、お金をかけずに苦しみから解放される方法が流行しています。それはマインドフルネス瞑想です。

マインドフルネスを直訳すると「心が満たされている状態」となりますが、マインドフルネスとはつぎのような在り方です。

今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること。(日本マインドフルネス学会による定義)

わたしは運動神経が極めて鈍くスポーツが苦手なのですが、教員時代、男子バスケ部の顧問をしていたことがあります(優れたOBのコーチがいたので、なんとかやっていけました)。顧問として、試合前に選手にこんなアドバイスをしたことがあります。

試合中、自分がミスをして点差が開くと「あのとき、俺があんなプレーをしなければ」という自責の念にとらわれることがある。また、こちらが優勢で点差が開いていても、相手が追いついてくると、焦りや不安に駆られることがある。それではいけない。過去も未来も断ち切れ。この瞬間、自分がどのようなプレーをすればよいのか、今に集中しろ。

これは「マインドフルネスの状態でプレーしろ」ということです。

マインドフルネス瞑想は生産性を高めたり、スポーツや学習に集中するための手段として用いられています。実際、グーグルなどの大企業でマインドフル瞑想が導入されています。海外では学校教育のなかにも、この瞑想が取り入れられています。

マインドフルネス瞑想に関する書物は数多く出版され、この瞑想を教える教室もあります。瞑想ビジネスが成り立つ時代となっています。もし、あなたがこの瞑想に関心をお持ちなら、インターネットや書籍で簡単にその情報を入手することができます。

旅の話に戻りますが、苦しかったわたしは旅をしてリフレッシュして日常生活に帰りました。しかし少しするとまた苦しみも帰ってきました。旅によって苦しみ消すことはできませんでした。

苦しみを解消させるために、実際にマインドフル瞑想を行ったこともあります。たしかにこれは効果がありました。雑然として混乱していた頭の中が整理されてクリアになり、日常生活のなかでのパフォーマンスの質が向上しました。

マインドフルネス瞑想は、旅よりも苦しみに効く。そうわたしは感じています。

わたしたちは、子どものころから比較され、競争させられ、傷つき、ときには他者を傷つけながら生きています(そのような世界のなかで、わたしは教員として生きてきました)。

マインドフルネス瞑想には、比較されて傷つき、常にさらなる上を目指して頑張り続けている自我をクールダウンし、癒すはたらきがあります。

ですが、わたしは今、マインドフルネス瞑想ではなく唱題という瞑想を実践しています。それは、マインドフルネス瞑想では、顕在意識を癒すことができても、深層意識に潜むカルマやトラウマといったものを癒すことが困難であるからです。されに言えば、その奥に在る仏性(仏としての本質)に目覚めることもできないからです。

達磨大師(だるまだいし)が中国に禅という瞑想をもたらしたとき、達磨は時の皇帝から、禅にはどのような功徳があるのかと問われ、「無功徳」と答えました。「禅を実践しても何のよい事もない」と答えたのです。

皇帝の言う功徳、よい事というのは、国が護られるとか、経済的に豊かになるとか、病気が治るとかいった、この世的なメリットでした。禅という瞑想は、そのようなものを得るために行うものではない。そのようなこととは関係ない。そう達磨は皇帝に言ったのです。

釈尊の教えられた瞑想は、世俗的な何かを獲得するために行うものではありません。今ここに在って自己の内なる仏性を顕現するためにあるのです。禅も唱題もそのような瞑想です。

表面の意識が整理されクリアになることは、メンタルヘルス上、好ましいのは間違いありません。その結果、作業効率もあがるでしょう。それゆえ、企業はマインドフルネス瞑想を取り入れているのです。

いっぽう釈尊の瞑想は、あくまでも、この世におけるメリットを追求するものではなく、仏性に目覚めるためにあるのです。これは資本主義経済に寄与することはないのでビジネスにはならないでしょう。

釈尊の瞑想が寄与するのは資本主義社会ではなく世界平和です(言うまでもなく唱題もそうです)。自己の内なる仏性に目覚めた人の数が世界の総人口の一定数に達した時、世界は真に平和になるであろう。そうわたしは確信しています。

さて、わたしの周囲に、自己の仏性に目覚めるために唱題という瞑想を実践している人がどれだけいるかというと、そのような人はほとんどいません。

心身の両面で健康がすぐれない。対人関係がうまくいかない。生きていく上で不安がある。そのような苦しみから解放されたいという思いで多くの人が唱題をしています。

わたしはそれでよいと思っています。唱題について「無功徳」と言うつもりはありません。内なる仏性に目ざめる前に、自己を癒し平安を得ることが必要です。実際に唱題には心身を癒す力があります。

癒され平安を得て、内なる仏性に目覚め、自他ともに仏の世界を目指す菩薩となる。そのような道程(みちのり)を歩むのが唱題であると考えています。唱題は道である。そう思ってわたしは唱題を実践しています。

一つ付記しておきます。今、企業や海外の学校で取り入れられているマインドフルネス瞑想の源流は釈尊の瞑想です。それが物質中心主義の社会をよりよく生きるための手段となってしまっているということなのです。

小島 弘之 ブログ『体験する仏教』より     https://kasinoki1957.hatenablog.com/archive/2022/03/25

世界を癒す24時間お題目リレー 3/15

コロナパンデミックが始まって間もなく、インドネシア ジャカルタ 蓮華寺のエルフィーナ・妙布 上人らの発願による、“24 Hrs Odaimoku offering to heal the World =世界を癒す24時間お題目リレー” が、世界各国の日蓮宗の寺院によって、毎月満月の頃に行われている。

当寺院においては、今回は、これまでに加えてロシアによるウクライナという悲痛な衝撃に対して平和を祈ることが、織り込まれた。

(1) 唱題と唱題体験に関する深い対話 要唱寺 住職 斉藤 大法 / 僧 小島 弘之 / 石黒 晃子 / 藤原 秀博 / 柳谷 正    https://youtu.be/_oNWc44_XmU

(2)唱題と唱題体験に関する深い話 要唱寺 僧侶 小島 弘之 現代「祈ったからと言って現実的な効果などないよ」と思っている方もすくなくありません。しかし、近年「祈り」が科学研究されるようになった結果「祈りには、可能性も効果もある」ということがわかってきました。ここでは、そうした科学研究なども盛り込みながら「今日こそ祈りが大切である」ことを述べています。特に平和への効果や霊への実効性について少し言及。ご参考になさっていただけたら有難いです。 https://youtu.be/BxtWPnL1mk4

(3)要唱寺住職 精神科医 斉藤 大法 講話&唱題  ここでは、コロナやウクライナなどでの戦争に通底する人々の恐れという感情が、いかにコントロールし難く、しかも様々な問題を引き起こすかを仏教、心理学、脳科学の視点から述べています。と同時に唱題が、いかに有効な可能性であるかを明らかにしようとしています。 前半は、日本語のみ、後半は日本語と英語で語っています。最後は、唱題です。 https://youtu.be/A1QhtpQyUQY