永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 6

2025年4月20日朝5時45分。仏陀は修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 6
男は妻となる女を田舎の駅で迎えた。家に帰り、老婆に女を紹介した。女は老婆に「田舎のことを何も知りません。教えてください。よろしくお願いします」と丁寧に言った。老婆は前の嫁と違い、腰の低さに驚いた。また子どもに「新しいお母さんになります。前のお母さんのようにはいかないかも知れないけど、お母さんとして努力するからよろしくね」と言った。子どもたちが「パパ、この人なんて呼んだらいいの?ママじゃないから…」と言うと、父親は、一瞬喉を詰まらせて「お母さんと言えなくても、そのうちになれるから」と答えた。男は家族に女を紹介した後、家の中を案内し、外へ行き、自分の畑を見せた。都会育ちの女は田舎のすべてが新鮮で喜んだ。
男と女はその日のうちに役所に行き、婚姻届を出した。女は男と2人になると、「私があなたを一方的に好きになってしまいました。至らないところがあるでしょうが、これから教えてください」と言った。男は驚いた。前の妻とはあまりにも違っていた。
1週間経ち、男と女の生活は少し落ち着いた。男は、地元の青年会の人たちに妻を紹介するために結婚披露宴の計画を立てた。
2週間後、男の家に地元の友人たちが集まって結婚披露宴が開かれた。女は料理が得意だった。老婆に手伝ってもらい、立派な料理で接待した。招待客たちは地元の食材を使ったレストラン並みの料理に驚き、歓声をあげた。地元の酒を出し、女は各テーブルに酌をして回り、一人一人に挨拶をした。地元の男たちは、女に好意を持った。
半年経った。女を紹介した元会社の社員が訪れた。「以前来たこの景色が忘れられなくて心の癒しに来た」と言った。社員は、都会生まれで田舎がなかった。山々に囲まれ、広い畑が目の前にある古民家が羨ましかった。社員は男に「先輩、よかったら今度泊めてもらえませんか」と言った。男は、家は広いし、彼は妻をよく知っているし、何も断る理由はないので「気楽にいつでも泊まりに来たら」と答えた。そばで妻は「◯◯さん、ここは良いところよ。泊まりにいらっしゃい」と言った。社員は、「前は春に来て良かった。今は秋だけど、ここは一年中いつの季節も癒されそうな場所ですね」と言葉を続けた。社員は冬に来ることを約束して帰った。
仏陀は、言われた。「この話は一般的な話で為になる」

お祭りが大切なわけ

今日のような人間社会を生き抜くためには、自我の強化はある程度必要である。
しかし、自我が強化されるということは、他との分離感が強くなることでもあり、全体性(ワンネス、ホールネス)を失うことでもある。差別、格差、激しい競争、嫉妬心等に苦しむことにつながる。そのまま放置すると狂気に発展してしまうかも知れない。
それらの矛盾を克服し、人間同士、外界との、宇宙的一体感(神との合一)を回復するために『お祭り』が行われてきた。
バリのケチャクダンスなど一つの例だと思うが、日本のお祭りの根本にもそういった深いわけがある。
私の目指すお祭りもまた神との合一体験である。本当に合一しようと追求してきた。
これは、修行から見ればまだ究極的な地点ではなく、行き過ぎた自我を適正化しストレスを解消する智慧のひとつに過ぎない。
分離感の強くなりがちな現代人にこそ、必要なものだと思っている。

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 5

2025年4月19日夕方5時。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 5
男は、仕事に対して研究熱心だった。先輩の農地へ行き、わからないことを教えてもらいメモをし、家に帰り本で調べた。今までにない農法をする楽しさで充実していた。初めて作った野菜は虫食いだらけだった。市場に出せる状態ではなかったが、どんな困難にも乗り越える気迫でくじけなかった。当面の生活費は退職金と貯蓄があったので、心配はしていなかった。
何より嬉しいのは、田舎なので都会より余計な出費がなかったことだった。
有機農法をはじめて一年経った。自分のところで食べる有機米作りに挑戦をした。難しいことに挑戦するのが、楽しかった。今までのサラリーマン生活時代とは打って変わり、日焼けしたくましい男になっていた。子どもたちは、かつて学校から注意を受けたのが嘘のように地元の子どもたちと仲良く遊び、勉強し、親に負けずに日焼けし、たくましくなっていた。前よりも母親のことを言わなくなっていた。
そんな時、元妻の弟から電話がかかってきた。「姉さんが重体なので、子どもを合わせてやってほしい」とのことだった。男は子どもたちを連れて地方都市へ行き、妻の入院している病院へ駆けつけた。病院で付き添う弟が言うには、「癌にかかっていたが、子どもたちには隠していた」と言った。子どもたちは一ヶ月に1回の電話をしていたが、格別何も言わなかったし、子どもたちも田舎暮らしに慣れて、前のように母親のことを言わなくなり、母親と会っていなかった。弟は持って1週間と言った。
女は子供たちを見ると、苦しそうな顔をして子どもの手を握り、涙をこぼした。男には小さな声で、弱々しく「ありがとう」と言った。わずかな面会時間ではあったが、子どもたちを連れて田舎へ帰った。
1週間経ち、女の弟より女が亡くなったとの連絡があり、男と子どもたちは女の葬儀に出席するために地方都市の斎場へ向かった。葬儀が終わった。女の弟は、子どもたちに母親からの形見として、子どもたちが小さい時に着ていた服と母親の写真を渡した。
弟は控えめに「姉は本当は離婚したくなかった。慣れない田舎と姑が嫌だったのだそうだ」と伝えた。男はてっきり愛想を尽かして去っていったと思っていたので、弟の言葉が胸に刺さった。葬儀が終わり、子どもたちを連れて田舎へ帰った。
母親に一通り説明した。母親には、「女は本当は別れたくなかった。慣れない田舎と人間関係が合わず辛かったんだと…」と言って遠回しに母親を非難した。元妻が亡くなり、畑仕事が復活し、毎日農作業に精を出していた。
葬儀から六ヶ月が経った。元いた地方都市の会社の同僚が、男に会いに来た。久しぶりの再会を喜び話し合っていると、同僚はある話を切り出した。「会社に離婚歴のある、お前より一つ年上の女社員がいて、以前からお前に好意を持っていたのだそうだ。けれどお前は結婚しているし、好いていると誰にも言えずにいた。元妻の方が亡くなったと聞いて、交際したいので伝えてほしい」と頼まれた、と言った。かつての同僚は、「休日がてら男の暮らす田舎ののどかな景色を楽しみたくて、日帰り旅行のつもりで遊びに来た」と言った。男は急なことで驚いたが、まんざらでもない話なので、この女の申し出を受けることにした。男は、この女のことは社員の一人というだけでよく知らなかった。
訪問した男から女の電話番号を聞き、自分の電話番号を書いた紙を女に渡すように頼んだ。男は、女に電話をした。1週間に1回電話をし、一ヶ月に1回、地方都市と田舎の中間地点の駅前の喫茶店で会うことを約束した。
三ヶ月経ち男は再婚する決意をし、母親に告げた。母親は「田舎暮らしで年老いた母や子どもがいること、すべて承知で来てくれるんだね」と念押しし納得した。息子の再婚話を喜んだ。

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 4

2025年4月19日朝5時45分、仏陀は修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 4
元妻は、地方都市で子どもを出迎えた。男は、元妻を見て驚いた。あまりにも美しく輝いていた。元妻は自分が若い時に恋してしまった時の美しさに戻っていた。若気の至りだったと心で苦笑いをした。元妻に子どもを連れてくる時間の約束をし、別れた。
男は都市の本屋で有機農業の本や趣味の本を買い、久しぶりの都会を楽しんでいた。
元いた会社に昼休みに弁当を持って訪れた。会社には事前に話をしておいた。元同僚と弁当を食べながら会社の近況を聞き、「先輩がいなくなりつまらないですよ」などと言われ、和やかな雰囲気だった。またかつての部下は自分のいた役職に昇進し、うれしそうだった。部下から近況を聞かれ、「田舎で有機農法の指導を受けて農業をしている」と話すと、周りの社員たちも「いいところに目をつけましたね。これからは食の安全性が問われる時代です」と褒めた。男は続けて、「住んでいるのは、囲炉裏がある築百年の古民家で広くて目の前には田や畑があり、遠くには山々が連なっている」と話すと、若い社員たちは「素敵ですね。民宿をやればいいのに、絶対に受けますよ」と羨ましそうな顔をした。男は気持ちの良い時間を過ごし、また訪れることを約束し、会社を去った。
会社を出た後、男は久しぶりにカラオケボックスに行き、一人カラオケを楽しんだ。子どもたちと会う約束の時間が来て駅へ向かった。駅で子どもたちを引き取り、元妻と別れた。元妻はあっさりと「じゃあね」と言って帰った。子どもたちは、嬉しそうに母親に手を振っていた。
車中、子どもは母親とのことを楽しそうに話した。家へ帰って子どもらは、祖母に母との話をした。祖母は、「よかったね」と言っただけで、それ以上話を進めようとはしなかった。
仏陀は言われた。「今行っている仕事の先が見えなくても、努力をせよ。必ず大きなものをつかむ」

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男A シリーズ 3

2025年4月18日午後5時。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 3
妻は、地方都市へ帰った。男は妻のいなくなった朝、いつもより早く起きて朝食を作り、子どもを起こし、学校へ行く準備をさせた。年老いた母への気遣いだった。
子供を学校へ送り出すと、母親は「これから食事は私が作るからいいよ」と言い、男は「自分は子どもたちの洗濯をするから」と言い、老母は「洗濯は私がするから掃除をしてくれるといいねぇ」と言った。女がいなくなったのでこれからのことを語り合った。母親は、「女がいるといつも見つめられているようで、肩が凝ったね。いないと気が楽だ」と話した。男も、気が強く合わない妻だったので、反論をせず黙っていた。
農業は初心者で、野菜の種をまいても半分しか育たず苦労していた。老母は、息子に丁寧に畑仕事を教えた。また老母は、都市の老人と違い、狭い農道を車を運転したり、いろいろな用を足した。よく働いた。
子どもは、学校から帰ると父親のいる畑で遊んだ。子煩悩な男は、都会ではありえない幸せな時を味わった。
慣れない畑仕事をしていると、近くに住む若い農夫がやってきて、「自分は都会でサラリーマンをしていましたが、有機農法に憧れてこの村に来てまだ日が浅いんです。この村で有機農法の青年会があり、参加しませんか」と持ちかけてきた。男は快く受諾し、参加すると会の中には男と同じようにサラリーマンから農業に転向する人もいて、先輩たちが丁寧に農業の指導をしていた。男は、農業の将来性を考えて有機農法で農家をやっていくことに決めた。有機農法の会に入会した男は、家に帰り母親へこれからの農業のあり方を説明し、入会したことを伝えた。有機農法の会の指導で、慣れない仕事もだんだんと上手くいくようになった。
ある時、男の小学校時代の友人が訪れ、村の役場の居酒屋で飲み会を開くから出席しないかと誘いがあった。居酒屋へ行くと、昔懐かしい顔ぶれがそろい祝杯をあげていた。男が「離婚して子供2人が家にいる」というと、仲間の一人は「子連れ2人と再婚した」と語った。互いに砕けた話をし合い、「ほっ」とした。幼馴染の良さを味わい、故郷へ帰ったことを実感した。子どもたちは母親のことを父親にも祖母にも口には出さなかった。妻との約束で一ヶ月に1回の電話をさせていた。ある時、子どもは母親と楽しそうに会話をしていた。電話を切ると、子どもは「本当はお母さんに会いたくてしょうがない。だけど言えなかった」と言って泣いた。
男は子どもがいじらしくて悲しかった。でも離婚したこと自体は後悔していなかった。
ある日、男は学校から呼び出された。先生は、「お宅のお子さんは、クラスの友達に暴力を振るっていじめるので困っています」と言った。男は先生の話を聞き、家へ帰って子どもにイジメのことを問いただすと、「母親がいないことをからかうので、悔しくて暴れる」と答えた。
男は、子どもの心が痛いほどよくわかり辛く、怒れなかった。男は、子どもに母親に会わせることを考えた。連休を利用し、男は子どもたちを連れて母親に会わせに行った。