永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 12

2025年4月23日朝5時45分。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 12
男は、首を縦に振らなかった。男は「苦労せずに留学させたために息子は、何でも思うようにできると勘違いしているようだ。また、新しいことをして失敗しても反省せず、安易に次のことをしたがる。苦労させる必要がある」と考えていた。息子は「父さんは先のことがわからないんだ。なぜダメなんだ」と強く反発した。父親は怒り、息子の甘ったれ根性を叩き直そうと今までにない厳しい口調で「また新しい事業をしたら失敗する。いつでも親が金を出すものだと思うな!」と怒鳴った。
男は、これまで息子にやらせていた洋風古民家のレストランを取り上げ、規模を大きくし、コックを雇い、イタリアンレストランとして地域に宣伝した。地方の洋食愛好家たちは、古民家で食べられるイタリアンに魅せられて訪れ、店は繁盛した。
息子は、親の古民家で働いた。半年経って、息子は親に「こんなところにはいられない。都会で一旗あげてくる」と言った。父親は「出て行くなら勝手に出てけ!修行してこい!」と言い放った。妻は、「お父さん、そこまで言わなくても…」となだめた。
息子は、都会のホテルにアルバイトとして就職した。アルバイト先を転々と変えていた。社会を甘く見ていた。外国で観光学を学んだことを履歴書に書いても、正社員の道は遠いということがわからなかった。息子の妻は、英会話スクールの先生として働いた。
男は、レストランが繁盛しているので、古民家を本格的イタリアンレストランとして和洋折衷のモダンな店に改築した。男の古民家イタリアンレストランは、地方で人気になった。男は、イタリアで修行した若い人気のシェフを都会から招いた。男の計画は当たり、情報網で『古民家で腕を振るう精鋭の若きシェフ〜創作イタリアンの店』として紹介され、全国から予約が殺到した。男は、今や古民家の宿のオーナー兼イタリアン料理店の経営者として地方の名士になった。

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 11

2025年4月22日夕方5時10分。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 11
息子が、ニュージーランドから外人の嫁を連れて帰国した。嫁は、日本語が何も話せなかった。息子は、嫁を家族に紹介した。男夫婦は、突然現れた外人の嫁に驚いた。嫁はニコニコ笑って可愛かった。息子は、嫁に家を案内した。息子夫婦には、祖母の部屋が与えられた。男の長男が外国から嫁を連れて帰ったということが、あっという間に村中に知れ渡った。
1週間経った。男は、息子夫婦を近隣の人々や仲間に紹介するために披露宴を開くことにした。民宿の一番大きな部屋を会場にし、民宿の料理で接待した。近隣の人々は、可愛い長男の嫁に好感を持った。長男は、何も日本の風習を知らない嫁に「母親と行動を共にし、覚えるように」と言った。外人の嫁は、母親が客にする挨拶の仕方を見ながら見様見真似で覚えた。嫁は、本や情報網を使って日本語を習い、覚えが早かった。
三ヶ月経つと片言の日本語をしゃべり、客や家の使用人に話しかけるようになった。慣れない日本の家事も姑となった女に習い、よく覚えた。また地元の人たちに英語を教えて喜ばれた。六ヶ月が経った。長男は、父親に「近くの空き家となっている民家を外国風に改装してオーベルジュのようなプチホテルを作りたい。料理はニュージーランドで習ってきたので僕がコックをする。妻が客を接待する。情報網を使って海外に知らせ、外人客を里山へ誘う」と言い、父親に空き家になっている古民家を買ってくれるようにせがんだ。男は、老夫婦がいなくなり、廃墟となった古民家が格安で手に入ることを知っていた。息子夫婦もこの日本式民家ではやりたがらないし、今の民宿は手は十分に足りているので、息子の言うことを承諾した。古民家は、外人が好きそうな要素を残し改装された。居間には、洋風のダイニングルームを作った。少し高めの値段設定をして、金持ちの外国人を対象にした。息子たち夫婦は、情報網を使い、案内を外国へ流した。
「日本の古民家体験オーベルジュ」ということで客が来た。妻は、昼間は村を案内し、日本の風習などを紹介した。男(息子)はコックとして客の料理を作った。オーベルジュは繁盛するほどではなかったが、経営は何とか維持できていた。
一年が経った。息子が父親のところにやって来て「客が全く途絶えてしまった。調べたら、違う地方に同じような外人対象の古民家オーベルジュがあり、客はそちらへ流れた」と言った。また息子は、「今度は宿泊料金を安くして外国人向け、または日本人若者対象のレストランと宿泊施設に改装し、やり直したい」と父親に相談を持ちかけた。

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 10

2025年4月21日朝5時45分。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 10
民宿は繁盛し、従業員を雇い、経営が安定するようになった。
男は妻と老婆を連れて沖縄へ慰安旅行に行った。3月の沖縄は、男の地方より暖かく、心地よかった。夫婦は今まで民宿の経営に忙しく、夫婦での休暇が取れなかった。妻は喜んだ。結婚以来初めての家族の旅だった。ホテルの前のビーチを歩き、大海原を見つめ、妻は「大変だったけど幸せだなあ」とつぶやいた。男は献身的についてくる妻を余計愛おしく思った。男は、妻に恵まれたと感謝した。そんな2人の姿を見て、老婆は安心した。
3日間の休暇を終えて夫婦は里山に帰った。民宿は従業員と沖縄から連絡を取り合っていたので何事もなかった。
高校生になった息子が父親に「お父さん、高校を中途で辞めて海外留学をしたい。留学して若者にどんな宿や旅が好まれるか勉強しに行きたい」と伝えた。男は「留学はいいが、英語をしっかり勉強し、目的地をよく調べてから行くように」と話した。息子は情報網を使って英語を勉強し、留学先を調べた。
一年経って息子は父親に「ニュージーランドに観光を学べる学校があるので、アルバイトをしながら留学をしたい」と話した。息子の努力が実り、息子はニュージーランドへ留学した。
民宿のある古民家の近くに近くの駅に新幹線が止まることになった。民宿は新幹線と送迎バスの力で客の予約は後を絶たなかった。老婆は、民宿経営で成功した息子に家を建ててもらい喜び、孝行息子に感謝しながら、夫婦に看取られて亡くなった。
息子から一年の留学を延期して観光学をさらに勉強したいと連絡があった。男は、希望を持って学ぶ息子を承諾した。息子は勉強に励み、休日はアルバイトをし、若者たちと交流した。
二年経った。息子から結婚するという連絡があった。男は「生活費も稼げないおまえが、何を言うか」と注意した。「結婚は、学校を卒業してから考えなさい」と諭した。息子は何も言わずに親の話を聞いていた。
三ヶ月経った。息子から結婚した、と連絡の電話があった。男は驚いて言葉を失った。息子は「現地の領事館で手続きを取った。相手の女は親元から学校に通っている。一緒には住んでいない」と伝え、「学校がもう少しで終わったら女を日本に連れて帰る」と言った。男はあまりの無鉄砲さに呆れて言葉を失ったが、婚姻届を出したと聞いて踏みとどませることはできず、認めざるを得なかった。
仏陀は、この話は面白いと言われた。

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 9

2025年4月21日夕方5時。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 9
民宿での餅つきのイベントが開かれた。女は客に餅つきを楽しんでもらうために、大根餅の作り方、きなこの用意、あんこの用意を教えた。餅つきが始まった。客全員に杵(きね)を持たせ、餅のつき方を教えた。子どもには小さな杵を用意した。客が恐る恐る杵を持ち上げ、餅をめがけつくと歓声があがった。客が楽しんだ後、男が足りない分の餅をつき完成させた。熱い餅をちぎり、きなこ、あんこ、大根おろしそれぞれの器に入れてからめ皿に盛った。都会育ちの家族は、歓声を上げ囲炉裏端に用意された御膳で満面の笑みを浮かべて食べた。餅つきのイベントは大成功だった。初めは手間がかかったが、男と妻は、客の餅ができる時の喜び、食べておいしいと感激の顔が何よりの喜びだと話した。残った餅でのし餅を作った。のし餅は帰りの土産品として囲炉裏端のちゃぶ台の上に置いて用意をした。夜は、郷土料理と大根料理を客に出した。女は、「大根おろし餅の大根、ふろふき大根の大根は、皆ここの畑で採れたものですよ。明日お客様に掘っていただきます」と言い、客を喜ばせた。
翌日、男は客の家族を連れて大根掘りに畑へ連れて行った。畑で客に掘り方を教え、客は大根を抜くと声を上げて喜んだ。冬の里山は寂しかったが、餅つきのイベントと大根掘りで人気が出た。男は、民宿仲間と大成功だと喜んだ。
「餅つきイベント&大根掘りの民宿」などと情報網への客の書き込みが評判を呼び、地方のテレビ局が取材に訪れた。「里山の古民家で客が参加する餅つきイベント」が放映されると評判を呼び、さらに全国の情報網に流れ客の予約が殺到した。男は、本格的に民宿をするために、古民家の横に家族用に別棟を建てた。料理は女一人ではできないため、地元の人をパートに雇った。女は専門的に料理を習いに行き、腕を磨いた。民宿経営に参加していなかった仲間の有機農家は、民宿の繁盛するのを見て民宿の農家として仲間入りをした。
3人の民宿の仲間は民宿が本業となり、農業はできなくなった。自分のところで食べる分の畑を残し、残りの畑を有機農業希望者へ貸そうと考えた。希望者を募り、有機農法を教えて貸すことにした。村役場に相談して農業従事者用の住宅を作ることを提案した。みんなの賛同を得て住宅を建てることになった。
有機農業希望者を情報網で募集したら、全国から応募者が集まり、休耕田はなくなり、村は活気づいた。古民家民宿は、宿の雑誌や報道網などで紹介され、ひなびた宿として古民家愛好家に喜ばれるようになった。
元会社の事務員から、社員旅行で民宿へ一泊旅行を計画している、と連絡があった。大人数だったので、三軒の民宿に分けて宿泊することになった。社員旅行一行がバスから降りると、男と妻が出迎えた。元いた会社だが、年月が経ち、知らない顔ぶれも多かった。懐かしい顔ぶれとの再会を夫婦は喜んだ。都会の社員たちは、里山の古民家を物珍しげに眺めた。男と妻は、元同僚の社員たちと懐かしい昔話やお互いの近況を語り合った。恒例の餅つきイベントが行われた。都会で行う餅つきとは一味違い、古民家で行う風情のある餅つきに社員らは喜んだ。酒が出され、歌を歌い、社員らはリラックスして田舎を楽しんだ。男と女は、楽しんで同僚を接待した。
夜は、郷土料理と新たに学んだイタリアンをメニューに増やし、若い社員にも喜ばれた。社長は、元社員夫婦の経営する民宿が気に入り、半年先の夏の民宿に二部屋を二ヶ月間借り切り、夏の会社の保養所として利用したいと申し出た。
夫婦は、社長からの長期契約を心から喜んだ。男の村は、今は日本の里山古民家の宿の村として、旅の雑誌で報道網で有名になった。

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 8

4月21日朝5時40分。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 8
夫婦は、慣れない客扱いであったが、無事に終えて満足していた。当面は農作業のこともあるので、ウィークデーに2日間で1組、週末土日に1組の客を取ることに決めた。男は民宿を経営する仲間と会い、情報交換した。皆、民宿を開業した感動を話し努力が実ったと喜びあった。
男の家族は生活が一変した。客がいる間は、風呂は早い時間に客に入ってもらい、老母と子どもには後から入ってもらうようにした。夕食は、老母と子どもには早めに食べてもらった。客がいる間は客を優先とした。老母と子どもは、最初少し戸惑ったが、次第に慣れていった。
若い夫婦が幼い子どもを連れてきた。妻は客が来ると、客の食べられない物や好みなどを聞き、客扱いが慣れていった。若い夫婦は、普段は洋食やイタリアンが多いので和食が食べたいと言い、妻は地方の郷土料理を出し、またアレンジして和風創作料理を出し客を驚かせた。若夫婦は普段は椅子の生活なので、日本家屋の畳の感触を楽しみ、妻は使い古された障子や襖を触り、古民家を体感し喜んだ。
子どもたちは、客の幼い子を外に連れ出して遊び、客の子を喜ばした。男の夫婦は、民宿経営に慣れていった。
三ヶ月経った。妻が慣れてきたので、ウィークデ一と週末の客を1組から2組にしようと提案し、家族の了解を得て受け入れ客を増やした。
初冬を迎えていた。民宿経営仲間が集まり会合した。冬はあまり魅力がない里山に何かイベントをして客を集めようと話し合い、冬の間は餅つきをして客に体験してもらい、食べてもらう。つき終わった餅は、販売しよう。冬は有機の大根掘りを客に体験してもらう。また冬の間、古民家で囲炉裏を開き、体験することを決めた。
情報網を使って宣伝したところ、あっという間に冬の間の三ヶ月の予約が埋まった。泊まりに来た客は餅つきをし、囲炉裏端でおろし餅、きなこ餅、あんころ餅などを食べ、田舎の生活を楽しんだ。また、若者や中高年の団体は、囲炉裏での酒宴を開き、日本の古民家の生活を堪能し喜んだ。昼間は客を畑に案内し、大根抜きの体験をしてもらった。客は慣れない作業に興奮し、歓声をあげた。男は、妻に協力できることは、惜しまず手伝った。
妻は男に「お客さんは、今まで自家用車で来る人たちばっかりだったけど、お父さん、お客さんを駅へ迎えに行ってもらえる?そうすれば車がない人も来れるわ」と提案し、早速実行に移した。男の夫婦は忙しくなったが、現金収入が増えて喜んだ。