【死との向き合いと受容】
臨死体験 その1
わたし自身は、臨死体験はありません。しかし、道場の厳然たる修行に於いて数多の死後の霊魂の体験を持っています。厳然たるとは、仏教修行として、そしてそれを行う科学的姿勢として厳格に行い続けたつもりです。その立場から今回は、「臨死体験」について少々述べさせていただきたいと思います。
小島 弘之 身延山信行道場成満
いま 唱題プラクティスとは ?
いま唱題プラクティスは、最新の科学的知見と古代からの叡智を統合することにより、私たちに新たな生き方をもたらそうとしています。人間の感情の問題(不安、怖れ、怒り、嫉妬、恨み、憎しみ等)は、”いのちの根源的法”によって本来の在り様へと回復され、わたしたちは、感情に対する軽やかな扱い方とほんとうの幸せを実現することになります。 ※人間の迷いや感情の問題を放置したままの幸福の追求は、苦しみの結果を引き起こしています。
現代の世界の経済活動を支える思想の根底には、「快のあくなき追求が、人類の幸せをもたらすであろう」という誤れる確信があります。これには、生存の可能性を高める一定の効果はあるものの、様々な生活習慣病やストレス性の身心の病、貧困、搾取、争い、環境問題等をもたらし止むことがありません。
快の追求は、一時的な心地よさをもたらしますが、それが習慣的になると幸せどころか、結局のところ苦悩・苦痛を誘導してゆくのです。 ※快 それ自体は、生存に関わる大事な機能のひとつなので否定しません。ただ、それが過剰になったり、そこにとらわれることは、むしろ不幸をもたらします。
唱題プラクティスは、ほんとうの幸せ感を実現するがゆえにその結果として快感のループに呑み込まれることがなくなります⒜。その幸福感とは、単なる個としての幸せではなく、大いなるもの―神々宇宙全体とつながったところに涌きあがる無限の幸福なのです。その実感は、地球全体、生物、人間同士の調和的生き方を導く基礎的な力となります。 ⒜このことに関して世間では、快感をコントロールすれば、次に平安と幸せがた訪れるであろう、と考えます。此の方法は、一見合理的に見えますが、実際には、解決に限界を生じるのです。なぜなら人間の脳の機能が、そのように出来ていないからです。順番が、逆なのです。こころからの幸せを体験する。その結果として快感のループへの依存がすんなり収められるのです。
合掌
要唱寺 住職/蓮(れん)実践心理学研究所 所長 斉藤 大法