わたし大法が、大学病院の医師を辞め仏教の修行を始めるきっかけとなったのが、寒修行です。それは、自分にとって魂を揺るがすほどの大きなインパクトだったのです。あれから幾十年、令和6年の寒中修行最終一日前の修行です。
New Event – Zoom Chanting Odaimoku : Further practice Nov.2023
Starting in October, Zoom Chanting Practice will be held only on Saturdays. In addition, A new Zoom Chanting Odaimoku : Further Practice will begin.
The difference from the previous Zoom Chanting Practice is that all participants will be asked to turn on their cameras. This is a new initiative to expand learning opportunities by making it easier for participants to interact with each other and to aim for deeper practice. Until now, you have had one-on-one practice with me [Daiho], but we would like to provide an opportunity for you to practice with each other and share your impressions of each other’s practice.
(1) November 7th, 7:30 p.m. to 9:00 p.m. (2) November 21th, 7:30 p.m. to 9:00 p.m. JAPAN TIME
If you wish to attend, please send an e-mail to daiho_cs@yahoo.co.jp with your name and “Zoom Chanting Odaimoku : Further practice Participation Request” and send it to the following address. daiho_cs@yahoo.co.jp
We will reply with the Zoom URL and passcode. (Note: We will not be able to send you the information if you do not indicate your intention by e-mail or phone call.)
当寺院の供養について
当寺院の供養は、他で通常行われているいわゆる慣例儀式的な供養とは、やや趣を異にします。
<当寺院の『供養のコンセプト』~私が体験した『死後の霊の成仏へのプロセス』~>
医科大学で医学を学んだ私は「死後の霊などない」と考えていました。脳が死滅した後に精神活動が存在するなど考えられなかったのです。
私は、僧侶になってもしばらくは、以下のように思っていました。
そもそも ”霊は、あるのか?”
“無いとすれば、なぜ葬儀や法事をするのか? 無いのなら法事をする必要は、ないのではないか”
“あるとすれば、通常行われている法事などでほんとうに『霊』に届くような供養ができているのか? またその場合どのようなプロセスを経て『霊』は、成仏するのか?”
“以上のようなことが、わからないままに法事をすることは、虚しい”
したがって僧侶になってもしばらくの間私は、法事という行為を拒否していたのです。 自分の心を向上させる修行だけは、納得して行っていました。お寺の僧侶が法事をしない。普通あり得ない話ですが、・・・・・・(笑)。
ところが・・・・修行を重ねた結果、ある時より、
亡き御霊の状態が体現されるようになり、唱題を通して御霊が、清らかでとらわれのない意識へと変化し、成仏を象徴する蓮華台に乗り浄土へとお導きすることが出来るようになりました。さらに参加された皆様方の祈りが、亡き方にどのように届いているかもわかるようになったのです。単にお坊さんに頼むのではないのですね。自分たちも深く関わっていることを実感する喜びがある。
ただし、それは私の個人的な念力や霊感(霊媒)などによるのではありません。仏法(ぶつぽう)が持っている大いなる力によるのです。 そのことを通して、亡き方のみならず、祈る人も共に癒され、深い気づきと安らぎを得ることが出来る。それが、私そして当寺院が目指し行う供養です。
<参考> 令和五年八月十六日 盂蘭盆会(うらぼん)供養風景
唱題センター in 無辺行山 要唱寺
*導師 要唱寺住職 蓮華院大法日立 / 役僧 小島 弘之
※これは、いわゆる個人的な霊感や霊能(霊媒)によって行われるものではありません。 大法が、法華三昧を修し、仏法ー妙法蓮華經と一如となることにより、仏法そのものの力によって表わされる微妙で壮大な”たましいの世界”なのです。
☆法話編 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=ikPG5TBv18M
9月9日「覚醒医療ネットワーク」シンポジウム



盂蘭盆(うらぼん)について
わが国では、ご先祖様などをお迎えして、さまざまなご馳走などをこしらえてお供えし、喜んでいただく、満足していただくための様々な優しい心遣いや工夫がなされています。そしてそのために家族や親せきが集まって相親しむ団らんという面もありますね。お寺に集まって法要を行う場合もありますし、お坊さんに家に来てもらって読経していただいたりします。
もともとお盆は、お釈迦様のお弟子のひとり目連尊者(もくれんそんじゃ)の亡き母が餓鬼界の苦しみにあえいでいたのをお釈迦様の指導のもとに救ったことから起こった仏教行事とされます。日本だけでなく広くアジアの仏教国などで行われています。
当寺院では、すべての人が速やかに仏になれることを明確に説いた法華経に基づいて亡き方々の魂の供養を行っております。
この盂蘭盆の法要を通して、皆様のご先祖の方々が、たとえ最初は、悲しみや辛さがあったとしても、やがて静けさや穏やかさへと変わり、喜びや天の楽しみを味わい、たましいが満たされてゆくさまを共に感じていただけたら幸いです。
特に当寺院の供養の特長は、亡き方の御霊が読経唱題を受けて苦しみから離れ満たされてゆく様が五感を以て感じられるように現わされることです。これは、当寺院住職 蓮華院大法日立が、御題目の徹底的な修行を通して法華三昧(ほっけさんまい)を得たことによります。それは、通常の儀式的な法要などには類を見ない、また個人的な霊感などによらない久遠の仏陀の深遠なる覚りによって照らし出され展開する真実なのです。