永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男Aシリーズ 4

2025年4月19日朝5時45分、仏陀は修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 4
元妻は、地方都市で子どもを出迎えた。男は、元妻を見て驚いた。あまりにも美しく輝いていた。元妻は自分が若い時に恋してしまった時の美しさに戻っていた。若気の至りだったと心で苦笑いをした。元妻に子どもを連れてくる時間の約束をし、別れた。
男は都市の本屋で有機農業の本や趣味の本を買い、久しぶりの都会を楽しんでいた。
元いた会社に昼休みに弁当を持って訪れた。会社には事前に話をしておいた。元同僚と弁当を食べながら会社の近況を聞き、「先輩がいなくなりつまらないですよ」などと言われ、和やかな雰囲気だった。またかつての部下は自分のいた役職に昇進し、うれしそうだった。部下から近況を聞かれ、「田舎で有機農法の指導を受けて農業をしている」と話すと、周りの社員たちも「いいところに目をつけましたね。これからは食の安全性が問われる時代です」と褒めた。男は続けて、「住んでいるのは、囲炉裏がある築百年の古民家で広くて目の前には田や畑があり、遠くには山々が連なっている」と話すと、若い社員たちは「素敵ですね。民宿をやればいいのに、絶対に受けますよ」と羨ましそうな顔をした。男は気持ちの良い時間を過ごし、また訪れることを約束し、会社を去った。
会社を出た後、男は久しぶりにカラオケボックスに行き、一人カラオケを楽しんだ。子どもたちと会う約束の時間が来て駅へ向かった。駅で子どもたちを引き取り、元妻と別れた。元妻はあっさりと「じゃあね」と言って帰った。子どもたちは、嬉しそうに母親に手を振っていた。
車中、子どもは母親とのことを楽しそうに話した。家へ帰って子どもらは、祖母に母との話をした。祖母は、「よかったね」と言っただけで、それ以上話を進めようとはしなかった。
仏陀は言われた。「今行っている仕事の先が見えなくても、努力をせよ。必ず大きなものをつかむ」

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男A シリーズ 3

2025年4月18日午後5時。仏陀は、修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 3
妻は、地方都市へ帰った。男は妻のいなくなった朝、いつもより早く起きて朝食を作り、子どもを起こし、学校へ行く準備をさせた。年老いた母への気遣いだった。
子供を学校へ送り出すと、母親は「これから食事は私が作るからいいよ」と言い、男は「自分は子どもたちの洗濯をするから」と言い、老母は「洗濯は私がするから掃除をしてくれるといいねぇ」と言った。女がいなくなったのでこれからのことを語り合った。母親は、「女がいるといつも見つめられているようで、肩が凝ったね。いないと気が楽だ」と話した。男も、気が強く合わない妻だったので、反論をせず黙っていた。
農業は初心者で、野菜の種をまいても半分しか育たず苦労していた。老母は、息子に丁寧に畑仕事を教えた。また老母は、都市の老人と違い、狭い農道を車を運転したり、いろいろな用を足した。よく働いた。
子どもは、学校から帰ると父親のいる畑で遊んだ。子煩悩な男は、都会ではありえない幸せな時を味わった。
慣れない畑仕事をしていると、近くに住む若い農夫がやってきて、「自分は都会でサラリーマンをしていましたが、有機農法に憧れてこの村に来てまだ日が浅いんです。この村で有機農法の青年会があり、参加しませんか」と持ちかけてきた。男は快く受諾し、参加すると会の中には男と同じようにサラリーマンから農業に転向する人もいて、先輩たちが丁寧に農業の指導をしていた。男は、農業の将来性を考えて有機農法で農家をやっていくことに決めた。有機農法の会に入会した男は、家に帰り母親へこれからの農業のあり方を説明し、入会したことを伝えた。有機農法の会の指導で、慣れない仕事もだんだんと上手くいくようになった。
ある時、男の小学校時代の友人が訪れ、村の役場の居酒屋で飲み会を開くから出席しないかと誘いがあった。居酒屋へ行くと、昔懐かしい顔ぶれがそろい祝杯をあげていた。男が「離婚して子供2人が家にいる」というと、仲間の一人は「子連れ2人と再婚した」と語った。互いに砕けた話をし合い、「ほっ」とした。幼馴染の良さを味わい、故郷へ帰ったことを実感した。子どもたちは母親のことを父親にも祖母にも口には出さなかった。妻との約束で一ヶ月に1回の電話をさせていた。ある時、子どもは母親と楽しそうに会話をしていた。電話を切ると、子どもは「本当はお母さんに会いたくてしょうがない。だけど言えなかった」と言って泣いた。
男は子どもがいじらしくて悲しかった。でも離婚したこと自体は後悔していなかった。
ある日、男は学校から呼び出された。先生は、「お宅のお子さんは、クラスの友達に暴力を振るっていじめるので困っています」と言った。男は先生の話を聞き、家へ帰って子どもにイジメのことを問いただすと、「母親がいないことをからかうので、悔しくて暴れる」と答えた。
男は、子どもの心が痛いほどよくわかり辛く、怒れなかった。男は、子どもに母親に会わせることを考えた。連休を利用し、男は子どもたちを連れて母親に会わせに行った。

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある男A シリーズ 2

2025年4月18日朝5時45分。仏陀修行に入ると言われた。
『日本編』ある男Aシリーズ 2
男は久々に故郷に帰った。葬儀が終わった翌日の早朝、目が覚めて外に出てみた。目の前に広がるのどかな景色、遠くに連なる山々が広がっていた。ひんやりとした心地よい空気が男を包んだ。地方都市の小さなマンションの部屋から見る景色とは、あまりにも違っていた。魂が、よみがえるのを感じた。
男の魂は故郷に帰り、光り輝いた。男は、自分の生きる場所はこの大地しかない、と感じ決心した。男は妻に「俺は、ここに住むことに決めた」と宣言した。男は今まで妻の言いなりに動いていたが、今回は違っていた。何を言っても動かない力強い言葉を感じた。妻は「ここに住むの?」と呆れたような声を出し、「私は都会育ち。お店やコンビニがたくさんあり、賑やかなところしか住めないわ」と言い返した。男は頑なに「俺はここに住む」と言い返した。妻は、夫のあまりにも強硬な態度に従わざるを得なかった。女にとって滅多にない妥協だった。家族は、街に帰った。男は会社に辞表を出し、諸々の引っ越しの手続きをした。
男は、3月の末に故郷の住人となった。子どもたちは、新しい学校の手続きを終えて新入生となった。子どもは、喜んだ。都会にはない広い校庭に青い空。古い家は広くて駆けられる。畑を歩いて学校へ行く。どれも新鮮だった。妻は、突然訪れた田舎暮らしにこれからを思うと心細かった。と、同時に夫に妥協した自分が悔しかった。
男は田舎で育ったが、本格的に農業をしたことはなかった。幼い頃から親の仕事を見よう見まねで手伝っただけで都市の大学へ行ったので、一から教わらなければならなかった。母親と近隣の農家から種まきの方法を学び、本で農業の勉強をしていた。
一ヶ月経った。妻は慣れ無い古くて住みづらい家で、姑からいつも見られているようで息苦しかった。パートで働きたくても働く場所はなかった。これから農作業なんてやれないと思った。妻は、夫に「私、ここでは暮らせない。息苦しくていられない。街へ帰りたい」と強く言った。夫はただ一言、「俺はここに住む」と言った。女は、「私にはできない」と譲らなかった。長い時間は、かからなかった。女は「私、街に戻ります」と言い、夫は「一人で行けばよい」と返した。女は「子どもは、引き取ります」と言った。しかし現実のところ、働いて子どもを育てる自信はなく、「子どもたちに訊いてみましょう」と言った。子どもたちは、普段から険悪な親の雰囲気を察していた。夫婦一緒のところで子どもたちに話をして「どうしたいか」を訊いた。すると子どもたちは、「都会の学校より田舎の学校の方が数段いい。おばあちゃんもいるし、楽しい。お母さんと別れるのは嫌だが、田舎に残る。会いに行きたいときは連絡するからね」とあっさり言った。女は呆然としたが、田舎で一生を過ごしてはいられないと思い、離婚を決意した。

永遠の仏陀からのメッセージ『日本編』ある女シリーズ 1

2025年4月12日朝5時40分。
仏陀修行に入ると言われた。
『日本編』ある女シリーズ 1
女は、気持ちの良い朝を迎えていた。犬と散歩に出かけようと思った。いつもの散歩コースを行くと、前方からも犬を連れた人が来た。女から話しかけ、軽く挨拶をし、犬の名前、犬種を聞き、四方山話をして別れた。気分よく散歩していると、犬が片足を引きずって歩いているのに気づいた。「あら、どうしたの?」と話しかけ歩き続けた。やはり引きずっている。
これは大変と抱っこして家に帰り、早速かかりつけの獣医に行った。診察を待っているあいだ犬にまつわる四方山話をした。診察の番が来た。医者は、丹念に調べて「この犬種からしたら歩きすぎで疲れたのです」と診断した。犬は歩けるのに散歩しすぎとは納得いかない。どこか病気があるのでは、と思っていた。心の中で「藪医者!」と叫んだ。納得がゆかないまま帰宅した。
別の獣医を訪れ、同じことを言われた。2人の獣医から散歩しすぎと言われたが、腑に落ちなかった。散歩を再開した。ある程度まで歩くとやはり足を引きずり出した。やはりこの犬はこれくらいが歩く限度なんだと納得し抱いて帰った。
早速ペットショップへ行き、犬専用の乳母車を買った。犬を散歩に連れて行き、足を引きずり出すと乳母車に乗せた。何日か同じことを繰り返すと、前方から犬を乳母車に乗せた人がやって来るのが見えた。犬にかわいい服を着せていた。自分の犬の方がはるかに負けていると感じ、早速ペットショップに行き、犬の洋服を新調した。
すると犬との散歩より出会う犬の洋服や乳母車に注意が注がれるようになった。女は、自分の犬に他の犬より可愛い洋服、絶対に負けない洋服を着せたかった。犬にレースの洋服とレースの帽子をかぶせ、乳母車にはレースの日傘をつけ、もう誰にも負けないと得意げで散歩した。携帯で写真を撮り、動画を撮り、SNSで発表した。
「いいね」や賛美の言葉に酔いしれた。今や犬との散歩は、散歩そのものが目的でなく、犬のファッションショーになっていった。犬の散歩で可愛い可愛いと褒められ、最高の喜びに浸っていた。そんなある日、犬が急に歩かなくなった。獣医へ連れて行っても原因がわからなかった。ぐったりして食べ物を受けつけなくなり、苦しそうに息をした。
十日経ってあっけなく息を引き取った。女は呆然となり、涙を流して泣いた。泣いても泣いても涙はとめどなく流れた。犬が死んだことは大変なショックだった。
それ以上に犬に洋服を着せる楽しみが無くなったことを嘆いた。心は、二つの生き甲斐を失った悲しみで覆われ、立ち上がれなかった。

〈天からのメッセージ(虚空でのお話)63〉

〈天からのメッセージ(虚空でのお話)63〉
※これは、2025年5月9日午前6時35分、虚空において直接女の仏さまにお会いしお聞きした説法を記述したものです。
女の仏様です。
皆様、おはようございます。
何のお話をしましょうか。昨日は「笑い」がテーマでしたね。
本日はについてお話ししましょう。
愛という言葉には広い意味があります。大きい愛の世界は、人類愛です。人間として人間同士の絆を信じ、いかなる階層の方、身分も関係なく、人を愛し助け合う大我(たいが)の愛です。たとえて言えば、マザーテレサのような方です。この大きな愛は、純粋で魂から湧き出る愛で、何か見返りをもらいたいというような報酬を求める心がありません。いかなる階層の人にも同じようにやさしく接し、助け合う慈愛です。これが一番美しい愛の姿です。仏様がそうです。私たちの魂が仏様と真につながっていれば、慈愛の心へと導かれていくのですよ。それには無になって唱えることです。南無妙法蓮華経ですね。欲で唱えては、慈愛の心は芽生えません。
あなたの周りの方を見回してください。
あの人は優しくて神様のようだという方がいらっしゃいますね。そういう方は、いろいろな諸問題に報酬なしで、無欲で人のために行動しているのです。結果として、皆様が神様のようだと思われる方から優しい慈愛を感じるのですね。このような素晴らしい生き方をするのは、難しいかもしれませんが、心がけることが大切です。多くの方がこのように心がければ、世の中は明るくなり、明るい地球の未来へとつながっていきます。
一方、小さな愛でもありますが、偉大なる愛の姿もあります。母性愛です。お母様が、お子様を産み育てる中で湧き上がる本能の愛です。母性愛と言いましたが、父性愛も家族愛もあります。死から守ろうとする生物に与えられた本能です。本能は無条件なので、親や親族は、子どもや家族が危険な状態や困難な社会状況になった時、助けるのです。
しかし、動物にもありますが、人間の中には、我が子や親族を心の底から愛せない人もいるのですね。こういう方に育てられたお子様、家族は不幸です。親や親族からの愛というビタミンが欠如したために、心がいびつになって育ってしまうのです。
親や親族の愛に包まれて育った人は心豊かな優しい人格になるのですが、愛を受けずに育った人は、とかく社会を信頼できない、社会に適合できない人に育ってしまうのです。
生まれた時の境遇で魂の慈愛を受けられない方、生きていけない人のために国は施設を作ったり、NPO法人は活動をします。また不幸にして境遇に恵まれない方には、私たちが協力して愛を注がなければいけません。人間は皆、平等に愛に包まれて育つのが本来の姿なのです。
本日は、愛という大きなテーマのお話をしました。少しはお役に立ちましたでしょうか。
このことを地上の皆様にお伝えしましょう。
合掌
〈Message from Heaven (Talk in the Void)63〉
*This is a description of a sermon I heard on May 9, 2025, at 6:35 a.m., when I met the Female Buddha in person in the void.
This is the Female Buddha.
Good morning, everyone.
What shall I talk about? Yesterday, the theme was “laughter”.
Today, I will talk about love.
The word “love” has a broad meaning. The world of great love is love for humanity. It is the love of the Great Self, which believes in the bond between human beings and loves and helps others, regardless of rank or status. To use a metaphor, she is like Mother Teresa. This great love is pure and springs from the soul, without any desire for reward. It is a compassionate love that treats and helps people of all walks of life with the same kindness. This is the most beautiful form of love. The Buddha is like that. If our souls are truly connected to the Buddha, we will be led to the heart of compassionate love. To do this, we must become nothing and chant. Namu-Myoho-Renge-Kyo. If you chant with greed, you will not develop a mind of compassionate love.
Look around you.
There are people who say, “That person is kind and is like a god. Such a person is unselfishly acting for the sake of others without any rewards for various problems. As a result, you feel kindness and compassion from the person you consider to be like God. It may be difficult to live such a wonderful life, but it is important to keep it in mind. If many people keep this in mind, the world will become brighter and lead to a brighter future for the earth.
On the other hand, there is also a small but great form of love. It is maternal love. It is the instinctive love that wells up in a mother as she gives birth to and nurtures her child. I said maternal love, but there is also paternal love and familial love. It is an instinct given to the organism to protect it from death. The instinct is unconditional, so parents and relatives help their children and family members when they are in danger or in difficult social situations.
However, as is the case with animals, some humans do not love their own children or relatives with all their hearts. Children and families raised by such people are unhappy. Because they lack the vitamin of love from their parents and relatives, their hearts grow up to be sniveling.
Those who are raised with love from their parents and relatives grow up to be kind and gentle personalities, but those who are raised without love often grow up to be people who cannot trust society and cannot conform to it.
For those who cannot receive the love of the soul due to the circumstances of their birth or who cannot live, the government builds facilities and non-profit organizations conduct activities. We must also cooperate with those who are unfortunate and underprivileged and pour our love into them. All human beings are supposed to grow up surrounded by love equally.
Today, I have talked about the great theme of love. I hope this has been of some help to you.
Let us share this with all of you on earth.
With Gasshou