岡部 明美 ライブトークに出演

久しぶりに 岡部明美さんと具体的な活動の縁が起こりました。
「YouTubeあけみちゃんねる」でトークをすることになりました!!!!!
有難くまた嬉しいことです。
ぜひ、下をクリックして文章とユーチューブをご覧ください。
岡部さんと私とは、深い共通点があります。
『重病を患い、その体験(克服体験を含めて)の中から人生が転換するほどの様々な気づき・目覚めを得た』
そのせいかこれトークというか、ふたりでただただ共感しあっているのですね。そうそう、それそれ・・・・と😂
それにこの投稿の写真も動画もとても素敵なデザイン
感動しています。
岡部 明美さんの著書紹介
『もどっておいで私の元気!』(善文社)
『私に帰る旅』(学芸みらい社)
『約束された道』(学芸みらい社)~「このいのちを、何に使うか?」死の淵から奇跡的に生還した著者が、苦しみながら、もがきながら、天命・使命の仕事を探求し続けた「命に還る旅」のガイドブック
など。
以下、岡部明美さんがアッぷしたFace bookの内容です。(バリー博士との講演の写真挿入)
今の精神科医療を見ていると診察時間があまりに短いと思います。
ほんらいなら一人当たり1時間くらいは必要だと思います。
ところが、現実には10分くらい。これですと精神療法などできません。
薬物にたよらざるをず得ず、しかも診察は、その薬物を調整するための情報を得るのにぎりぎりの時間です。
何もできない。現状この状態を変革することも残念ながらほぼ不可能だと思います。
とはいえ、患者さんからすれば、薬による精神活動の抑制は、深刻な問題ですし、
「副作用、依存性、さらに多剤」
というさまざまな問題があります。
現に私のところを訪れる方は、
「薬や精神科医に頼りたくない」
という方が少なくありません。
そしてかなりの方が、「傾聴や祈りや瞑想」だけで平癒してゆく。
しかし、このことが精神医療の中に生かされ、減薬が進むには、まだまだ長い時間がかかることでしょう。
瞑想も修行とは別の細やかな配慮が必要ですし、
そんなことが他人に対してまともにできる(日本の現状は、それができているとは言えない。研究もなさ過ぎ)
人が、少なからず育つには、時間が必要なのと、
そもそも日本の医療界が、きちんと受け入れ導入するかは、正直疑問です。
ですので私としては、その可能性を抱きながらも、ご縁のあるところで行ってゆきたいと思っています。
とはいえ、先日ハワイ大学にてこのあたりの講義と実践の機会を与えられました。
こうしたことが、少しずつ変化をもたらすことになったら幸いです。
或いは少しずつなろうとしていることを感じています。
もっともこれには、不安、怖れ、うつ、ストレスを増強してやまない外的要因としての社会経済システムの修正もしなければならないので、
そういうことについても取り組んでゆきたいと思っています。
🍇YouTubeあけみちゃんねる
新作のゲストは、上記のメッセージを発信している、精神科医、カウンセラー、僧侶の斎藤大法さんです。
ダライ・ラマ法王の主治医であるバリー博士と盟友である斎藤大法さん。
バリー博士他との講演(長堀優医師(現在 育英会病院院長)、上田紀行東工大教授)
大法さんは、青年時代、国の難病指定の潰瘍性大腸炎に苦しみ、病気が治らないことに絶望していました。
しかしある時、1人の医師との出会いがあり、その医師に言われたある言葉がその後の人生を決定づけたのです。
またある時、1人の尼僧との出会いがあり、その在り方から溢れる慈悲、慈愛に心を打たれ、
自分のためにただひたすら祈りを捧げてくれるその姿に本当の精神医療の真髄を知るのです。
悩み苦しむ人々の話もろくに聞かず、薬漬けの精神医療、
大学病院の上下関係のヒエラルキー、自分が理想とする医療をここで実現することは無理だと思い、大学病院を辞めて
独自の道を歩きはじめた斎藤大法さんにお話を伺いました。
【YouTubeあけみちゃんねる】

仏教は、「欲望から離れなさい」
「執着してはいけません」
「煩悩をなくしなさい」
などと抑制的なことばかりを私たちに要求してきて、
人生の楽しみとは程遠い世界のように思っている人が多いのではないでしょうか?
ところが、お釈迦様ほど幸せを追求した人はいないのです。
お釈迦様が、幸せを求めた、ということの方にわたしは、とても同意します。
なぜなら私と仏道実践との出会いは、あり得ないほどの平安と涌き出て止まない喜びからはじまり、
常に世間にはどこにもないほどの楽しさの連続だったからです。
それは、初めての修行から三十年を経た今でも
日々瞬間瞬間に新たな素晴らしさを実感させ続けてくれています。
ただし、ほんとうの幸せを実現しようとしても、
もしトラウマや苦渋に満ちたな重いカルマがあったり、
欲望へのとらわれがあまりに強かったならどうでしょうか?
そのままでは、それらによって染められた幸せの追求になり、
努力すればするほど、頑張れば頑張るほど、成功や達成を目指せば目指すほど、
返って葛藤や苦悩を深める結果になっていないでしょうか?
ほんとうの幸せに到達するためには、ある時には、トラウマと向き合い、心の傷を癒し、
わたしたちがカルマや執着から解放されるための癒しの体験と気づきの実践が必要です。
苦悩を作り出している自分自身の脳の中の囚われに目を向ける必要があるのです。
まず「心のクリーニング(しこりわだかまり、未完了の感情を癒し」
「無意識の信じ込み、思い込み(否定的な信念体系)を解放することによって
より楽しく、より美しく、より歓びに満ちた、尽きることのない楽しみが得られる人生にいつしかなってゆくのです。

サトルエネルギー学会で講演 10/22

10月22日、サトルエネルギー学会で講演をさせていただくことになりました。科学者、医学者、臨床医の先生方に交じって、仏道(体験と少しの仏教心理学 )という別の切り口からお話しさせていただきます。
*『サトルエネルギー学会は、悠久の太古から伝わってきた人類の叡智に学び、それに科学的な視点を加えて、「見えない意識」と「見える現象」とを橋渡しすることを主体に研究する』
写真の説明はありません。
わたし大法の講演3 13:00~13:50 「死と生~自らの霊的体験を通して」
多くの人は、死との向き合いを回避して楽しい人生を目指そうとしている。しかし、それは幻想である。むしろ潜在的に怖れを引きずりながら生きることになる。コロナパンデミックは、人々に潜伏する死の怖れを表在化させた。このことは、現場の医師などが直面する難題のひとつでもある。もし人が、死をリアリティーとして受け止めることが出来た(死の受容=死の安心とその上に展開する新たな人生)ならこれまでの人類史上殊に近代文明の様々な矛盾を解決するかも知れない。

【 新たな形の彼岸会 】報告

令和4年9月25日開催
“新たな形の彼岸会”のコンセプト>

これまでの日本の伝統では、彼岸(ひがん)というと、お墓参りをしたり、親戚どうしで各家をお参りして仏壇にお線香を供え、ひと時の親睦と団らんという行事的意味合いが強かったかと思います。またお寺で彼岸会の儀式があってそこに参加する場合もあります。だいたい先祖供養をします。これは、これで意味があり親しみと楽しみのイベントだと思います。

しかし、当要唱寺では、それとは一味違う”彼岸会”を開催したいと思います。

以前より彼岸のほんらいの意味を考えるともう少し違う在り方が考えられるな、と思っていました。なぜなら彼岸とは、彼(か)の岸ということですが、これは仏の悟りの世界を意味し、迷い多き私たち(迷いの状態や世界を此岸(しがん)と言います)その“彼岸である悟りの岸に渡るための実践をする”のが仏教ほんらいの意味するものだからです。

当寺院の彼岸会は、仏教のほんらいの意味に照らして、改めて彼岸会を問い直し、創ってみたいと思います。特に①彼岸のほんらいの意味や目的が曖昧になっている、②お坊さん任せの読経(お坊さんが、唱える人、在家の方は、聴く人と分かたれていては、仏道は、空洞化し、宗教依存をつくりだす素地となっている) 、という在り方を修正すべきだと思っています。
そこで、仏の悟りを目指して出家在家に関係なく至心に “南無妙法蓮華經”と唱えることを本義とする。(もちろん、その中には、自分自身の悟りのためと、身近な他のためと言う意味で、ご先祖や亡き家族の為も含まれています)
そうして唱題することによって体験されることが、彼岸(悟り)へ歩み(或いは実現)である、というのが当寺院の彼岸会のコンセプトです。

(行事内容)

1. 彼岸についての話・・・住職 大法 (録画なし)

2. 彼岸法要~彼岸の唱題体験・・・全員 ⇒ このビデオ(映っているのは、大法のみ)※

3. 対話~彼岸法要体験談・総括・・・全員(録画なし)

※これは、大法が、精神科医的視点(意識科学の専門家として)として僧侶として徹底した唱題修行により法華三昧を修して得られた、身・心・魂が一致して体験される事の一念三千の世界です。個人的な霊感や霊媒の世界では、ありません。

新たな形の彼岸会開催 9/25

これまでの日本の伝統では、彼岸(ひがん)というと、御墓参りをしたり、親戚同士で各家をお参りして仏壇にお線香を供え、ひと時の親睦と団らんという行事的意味合いが強かったかと思います。またお寺で彼岸会の儀式があってそこに参加する場合もあります。だいたい先祖供養をします。これは、これで意味があり親しみと楽しみのイベントだと思います。

しかし、当要唱寺では、それとは一味違う”彼岸会”を開催したいと思います。

以前より彼岸のほんらいの意味を考えるともう少し違う在り方が考えられるな、と思っていました。なぜなら彼岸とは、彼(か)の岸ということですが、これは仏の悟りの世界を意味し、迷い多き私たち(迷いの状態や世界を此岸(しがん)と言います)その“彼岸である悟りの岸に渡るための実践をする”のが仏教ほんらいの意味するものだからです。

その意味からして、仏の悟りを目指して出家在家に関係なく至心に “南無妙法蓮華經”と唱えることを第一義とします。その中には、自分だけでなく、ご先祖や亡き家族の為も含まれています(ただし、今回は、お塔婆を建てず、亡き人の各各のお名前や戒名は、読み上げません)。そして、唱題によって体験されることを彼岸(悟り)へ歩み(或いは実現)であると捉えます。

令和4年 Zoom秋の彼岸会

(時) 令和4年9月25日 午後7時30分~午後9時。

(内容) ①法話 ②法要(唱題中心) ③対話

(参加方法) 下記のZoom URL より入室してください。至心に唱えたり、聴いたりされる方なら、どなたでも参加可能です。

(参加費) 無料  この唱題プラクティスその他当寺院の活動は、皆様の布施によって維持されています。当寺院活動の維持と発展のために自発的に布施(寄付)いただけるとたいへん有難く存じます。 ・御布施振込先→ https://yousyouzi.net/?p=565&preview=true

(注意) ☆原則カメラオフ、ミュートにて参加 / 録画・ユーチューブアップ・公開する場合があります。この場合、カメラをオフにしても登録した名前は、他の参加者に知られる場合があります。他に知られたくない方は、Zoom画面中で特定されない文字( 例)アルファベットで一文字とか)に変更してください。

 

 

世界を癒す24時間御題目リレー 9/9

<はじめに :  世界を癒す24時間御題目リレー について>この企画は、新型コロナウィルスパンデミックが起こって間もなく、インドネシア ジャカルタ 日蓮宗 蓮華寺のエルフィーナ・妙布 上人が発起人となって世界中の日蓮宗寺院に「世界を癒すために一緒に祈りましょう」と呼びかけたところ多くの参加者が現れ、2020年5月より、毎月行われています。

国際唱題センター(要唱寺内) 担当分  9月9日  第一部 12:00ー13:00 / 第二部 13:00―14:00  

<演題 >  第一部 / 第二部

① 第一部 斉藤 大法&小島 弘之による対談と唱題実践・検証 :ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、常寂光土現前せん」とは、ほんとうですか? ・・・ 12:00ー13:00

~涌きいずる御題目~ 一口に南無妙法蓮華経といってもそのレベルは、いろいろあります。① 口に唱える ②意で唱える ③身に唱える⇒法華経を体験する。 国際唱題センターで実践される御題目は、涌き出御題目であり、身・口・意に唱える『御本尊の世界を体験する御題目』です。↓効果的な唱え方の基本

唱題プラクティス https://yousyouzi.net/shoudai

② 第二部  みんなで唱題  13:00ー14:00・・・メンバーによる「世界を癒す」唱題実践。 特に亡くならた方(御霊)の癒し。